投稿者「貴如意」のアーカイブ

責任の範囲

うちにヒーリングに来た方との話。原発の話になると、「うちの主人の会社も関係しているみたいで。。。」と言っている。「でもやっぱり原発は怖いと思う。」と言うので「実際に原発開発に携わった方でも、事故が起きて『これはやはり人間の手に負えるものではない。』と反対している人たちがいるので、会社に自分の意見を縛られることないんじゃない?」と言ったものの「責任の範囲」ということについて考えた。

雪はうちの樋(とい)を壊して去っていきました。(涙)免責10万で補償も出ず。(もう一度涙)

雪はうちの樋(とい)を壊して去っていきました。(涙)免責10万で補償も出ず。(もう一度涙)

例えば、今ひたすら危ない方に進もうとしている政権について、自分は与党に投票していなくても、日本人である「自分達」が選んだ政権だから、政策には自分にも責任がある、と思わなくてはいけないのか、或いは主義主張が全く違うので、自分には接点がないと思っていいのか?例えば汚染水をだだもれにして世界の海を汚したら、世界は政治家や東電の幹部の名を挙げて非難しないで「日本」はなんということをしてくれたのか?と怒るだろう。とすれば「日本」の中には「私」も含まれるわけだ。

考えてみたら戦争もしかり。戦争で莫大な利益をあげる人も戦争反対した人も、一つの「国家」の中に押し込まれ、戦わなくてはいけない。無駄な命の消費の次に不条理なことがこの国による個人の消滅だと思う。「責任の範囲」というのは実はこれ程あやふやなものなのだ。

正しい(?)相続の仕方

ゆ~きはふ~る、あなたは来ない、私も行けない(?)

ゆ~きはふ~る、あなたは来ない、私も行けない(?)

私の周りでも相続の話が出るようになってきた。親が生前きちんと考えて、かつ親子、兄弟の信頼関係があれば問題ないだろう。でもこの三つが揃っているとは限らない。一番簡単な相続は、「死後の始末に要る費用以外何も残さない」こと。子供達はふがいない親を持ったことをお互いに憐れみ、仲良く助け合うかもしれない。

親がしっかり考えたつもりでも、子供の中には不満を持つ子がいるかもしれない。一つの提案は話し合って一応分け、それをくじで引くようにする。どれをとっても文句なしの公平な内容になっているか?お墓を守る、法事をする費用を別立てにしておけば問題ないだろう。

他の方法としては徹底的に話し合う。話し合いがつかない場合は第三者のプロに頼む。とここまでしなくても、ささいな相続財産のために使う時間と労力がもったいなくなって、放棄を選ぶ子供達であってほしい。そうしたら、「よくやった」と褒めてあげよう。天国から。(天国に行けたらね)

日本の選挙

選挙が行われた小学校の前の畑

選挙が行われた小学校の前の畑

もうずーっと前、多分15年位前に「この国は恐ろしい国」という題の本を読んだ。生活が苦しい人に対する対応がとても冷たい国だと言う様なことが書かれていて、「今日の生活をどうしようと思っている人がどうして選挙に行こうと思う余裕があるのか」というところで、はっとさせられた。その頃はまだ電車の人身事故(また最近増えている気がする)や餓死のニュースが珍しかった。

特に最近、政治に関心がある、ないという以前に本当に生活することが大変な人は選挙に行く気力さえないのではないか、と思ってしまう。まず住所が持てない人は絶対に選挙にいけない。投票用紙がこないからだ。経済的理由で自殺願望がある人や電気、水道、ガスをとめられた人が選挙に行くだろうか?

この様に考えると、日本では本当に福祉が必要な人たちは、政治参加する基本的な権利が始めから奪われていることになる。政治を自分達のものとして選挙で流血騒ぎも起きる東南アジアの国を見ると、どちらが本物の政治かと複雑な気持ちになる。東京都知事選も低い投票率で、どっちらけた人々と政治に見捨てられ行けなかった人々を除外した結果だ、ということを舛添氏は謙虚に受け止めてほしい。

日本の女性に関する一考察

何故、今の日本に女性の国レベルでの優秀な政治家が出てこないのだろう。イギリス、ドイツ、韓国、タイ等首相は女性だ。県や市、党レベルでしっかりした女性の政治家が出てきたと思っても、国の政治に関わることなく消えていってしまう。結局日本は根本的なところで男尊女卑か、余程男女の役割について保守的なのかもしれない。はたまた日本の男性の中に潜む卑弥呼コンプレックスのためか?

先日イギリス人と話していて、面白い見解を聞いた。その方の家庭ではお父さんは家事を重視し、従って家事に従事するお母さん、つまり妻をとても尊敬していた、という。その方の感じでは、日本は家事や育児はそれ程重要視されず、それ故妻の立場も軽い感じがする、ということだった。確かに特に今の日本では何より経済が最優先され、まずお金を得ることが大切になる。「誰が食わせてやってるんだ」という妻に対する言葉はある年齢以上の日本男性は、多くの人が言ったり思ったりしていることかもしれない。

こんな鳥いるのかな、と不思議に思い写真に撮った。

こんな鳥いるのかな、と不思議に思い写真に撮った。

主に育児や家事を担当する女性の地位が、外で働く男性よりもお金をたくさん得られないという理由で相対的に低いとしたら、国のトップに女性がなることは当分ないだろう。しかし最近赤ちゃんを抱いているのはたいていお父さんなので、そこらへんから変わってくるかもしれない。今すぐ変えるなら、少なくとも原発に反対している阿部首相の奥様が首相になればいいと思うのは私だけだろうか?未知数の部分が多いが政治家になるのに必要な条件、家柄、地盤、お金、縁故と全て揃っているので一番現実的だと思う。韓国の向こうをはってやってみて欲しい。

金網の向こうの幸せ

夜のレストラン

夜のレストラン

「金網の向こうの幸せ」というと、何だか刑務所にいるようだけれど無論そんなことはない。うちから一番近い駅の二階から天気がいいと、ガラス越しに綺麗に富士山が見える。だけれどそのガラスに金網が入っていて普通に見ると富士山が台無しになる。うんとガラスに顔を近づけると、金網の一つの目から何も邪魔されない富士山が見える。

ふと、未来もこんなものかと思った。大きな理想や夢は富士山。存在しているのに、金網という日常の煩瑣なことでよく見えない。でも心を集中して見つめるとちゃんと見える。金網があっても、いつも理想や夢は意識していないといけない、と思った。

ここのところ冬の空気のせいか、富士山が特に美しい。特に夕方は茜色の雲と一緒に、オレンジや赤から青へと色々な表情を見せてくれる。日本人でよかった、と思う瞬間である。

名古屋での勉強

夜の街

夜の街

或る方の講義を聞きたくて名古屋に行ってきた。聞くたびに身につまされる思いがする。今回は「依存と怠惰」に関するお話が深く心に残った。何かあると自分を反省することなしに、すぐ人のせいにする。これも依存の一種。自分は努力しないで又義務を果たさないで、権利ばかり主張する。これは怠惰。そして依存の結果思うとおりにならないと「恨み」を持つようになり、怠惰の結果は「禍根」となってかえってくる。色々なことに当てはめてみても、成程その通りと思った。勿論私自身、注意しなければいけないこととして聞いた。

そこで「おみくじ」のようなものがあり、一緒に行った叔母がひいた。私は以前それで「可」が出て、友達も「可」だったので「可能の可ね。」と言って喜んでいたら、「それって、優、良、可、不可の可よ。」って指摘されてがっくりきたことがあったけれど、叔母はなんと「優」であった。始めて聞いた「優」だった。「優でも説明はそんなにいいことは書いてないのよ。」と言うので読んでもらったら明らかに勤勉を褒められていて、「もっと楽しく過ごす時間を持つように。」とさえ書かれていた。

70を超えたのに本当に病院や倒れたご主人(私の叔父)、孫のためによく働く叔母で、まさに「勤勉」という言葉がぴったり。娘達がいる東京にもせっせと日帰りで来る。さすが神様は良く見てらっしゃる。「依存」と「怠惰」の中に生きた、と思われないよう、今からでも気持ちを引き締めようと反省した名古屋行きだった。

 

何事も力を抜いて努力

公園の木立

公園の木立

今年は、気功の仕事が続けられるかどうかの境目になるだろう。まだ始めたばかりで完成形ではない。私の強みは利益追求でやってないこと。でも全くボランティアでするつもりもない。赤字をだしてまですると、長続きしないだろうと思うから。ボランティアはしない代わりに何かと団体に寄付する様には心がけている。それにしても私の技術を教えるのに、一回二千円は安いと思う。言っていることを真剣に聞いて、毎日practiceして下されば、いつか本当の気功の価値に気がついてくれるだろうと願っている。気づきが大事なのであまり押し付けがましいことは言わない。

歩み始めたからには前進あるのみ。でもまたやりたいことが一つ増えてしまった。今度は少し、いえすごくお金がいる。初めて大金がほしいと思った。誠心誠意仕事をして、でも気功の仕事ではとても貯まらないから後は神に祈るだけ。今生でできるかどうかもわからないから、希望だけは持って、やりたいことを暖めていこうと思う。

慣性の法則

学生の時、慣性の法則というのを習った。「物体が外力を加えられない限り、そのままの状態を続ける」というものだ。物理学は大変不得意だったので詳しいことはわからないが、転がっているボールは転がり続けようという力が働く。もし空気抵抗がなければ、多分転がり続けるのだろう。時々社会でもこれは「慣性の法則」が働いているのかな、と思うことがある。

特にマスコミで感じる。3.11以降、日本は根本的に変わらなければいけないのではなかったのか?何事もなかった様な日常は有難いけれど、汚染水はどうなっているのか、毎日報道があってもいいと思う。福島の今後も、もっとみんなで考えていかなくてはいけないのに。。。以前と大きく何か変わっただろうか?

ある日の街の表情

ある日の街の表情

昨日、横浜に美輪さんのコンサートに友達親子と行ってきた。美輪さんは、今の日本の状態を憂えて、はっきりとご自分の経験も交えて戦争反対を主張された。ぶれない態度に頼もしさと尊敬の念を持った。これからさらに勉強しようとしているスピリチュアリズムの先生もそうだけれど、苦しい体験を乗り越えてつかんだ信念は強い、と感じた。私も慣性の法則に流されず、生きていく中で強い信念を持てるようにしようと思った。

そろそろ始動

巨大白菜断面図。

巨大白菜断面図。

年末年始は例年になく忙しかった。20日過ぎて熱海と大阪に一泊し、、年があけてから金沢に行った事もこたえた。この三連休は比較的ゆっくり過ごし、(それでも母のところ、高幡不動、どんど焼きと毎日でかけた)やっと心身ともに充実してきた。そろそろ気功の今年の方針を考えなければいけない。(少し遅い気もするが)気功のことは決まり次第ここでも書いていきます。

14日の今日、どんど焼きが終わってやっとお正月が終わったような気がした。ゴミ出しも今日の

白菜の4/5はお鍋のとお雑煮で消費された。

白菜の4/5はお鍋のとお雑煮で消費された。

可燃物を出して平常に戻った。疲れていたせいか、明るい思考ができなかったのだけれど、ゴミ出しの時に不意に感謝の気持ちが湧いてきた。ゴミを捨てられる幸せ。回収してくれて処理してくれる人やシステムがある。そういったものの上にたった快適な生活ということは忘れてはいけない、としみじみ思った。

スラム街では大抵ゴミが道路に散らかっている。生活の中にゴミが入り込んでいる。被災の地域ではいまだにゴミの処理におわれている。ゴミを出せる幸せは小さくないと気づいた一日だった。

 

 

 

 

小さな、でも大事な幸せ

右は普通の大きさの湯のみ。元はこの4倍から5倍の長さ。

右は普通の大きさの湯のみ。元はこの4倍から5倍の長さ。

もう昨年のことだが、地場野菜でとても大きな大根を見つけた。一つだけゴロンと置かれていて、皮に赤で200と書かれていた。ビタミンが豊富な大根葉もどっさり。大きくて大味かな、という心配もあったけれど、欲しかった時なので、しかも200円でこの大きさは安い!と担ぐようにして持ち帰った。

まずは板こんにゃくと味噌田楽。柔らかくて素直な味。見た目で判断してはいけないのは人も野菜も同じね。次に鶏肉と炒め煮。大根サラダ(海苔と小女子入り)。烏賊と大根の含め煮。今日は味噌汁の具(他、人参、えのき、野沢菜、熱海で購入した青さ海苔)と大活躍。それなのにまだこれだけあって(始めの1/5)おでんに役に立ちそう。

色々とお金がかかり増税もあるし、思うことがやっていけるかな、と少し憂鬱な年明けだったが、こんなおいしい野菜を安く手に入れることができるなら安心だし、小さな幸せなら確保できると嬉しくなった。(単純かも)そう言えばご近所から巨大白菜も頂いた。これも普通においしかった。

メモ:今日の料理(夕食)ーさば味醂漬、オムレツ(中身はネギたっぷりとバラスライス)、ほうれん草のお浸し、上記の味噌汁、奈良漬