投稿者「貴如意」のアーカイブ

芸術についての私論

人間を人間たらしめているものは、やっぱり芸術だと思う。芸術は感性の表出。色々な芸術論が出ているのでここでなんだかんだ言うつもりはないが、やはりひとこと言ってしまうと、一度芸術という形になってしまえば芸術は一人歩きをして作者の思いから離れていく。そして一つの作品から受け手の数だけ芸術が出来上がる。絵画は観者の一人一人の思いの中にその本質を沈め、音楽は絵画と違って弾き手の感受性をはっきりと表現する。ある意味音楽は、作者と演奏者の合作となる。

日本のガラス戸は何枚もの額縁

日本のガラス戸は何枚もの額縁

そういう意味ではシンガー・ソングライターは矛盾なく作者の意図が表現できるわけだ。絵画など作者が亡くなった途端、値が上がるという世俗的な現象が起きることがある。世に認められないまま亡くなった画家も多く、unfair(不公平)と昔は憤慨していたが、最近少し違った考え方をしている。「あの世では思い出してもらうことが大変な喜び」と聞いたことがあり、絵画や音楽を通して思われるのは本人にとって幸せなことなのだろうと思う。作者不明のものは?芸術家にとって作品は自分の一部なのだろうから作品が愛されること自体が作者の喜びになるだろう、とこんな風に考えるようになった私は成長したためか、老成したためか?私も何か本でも書いてみようかな。

ミュシャ展について

何か書き忘れている、と思っていたら思い出した。ミュシャ展のこと。第一印象は。。。とにかく混んでいた。と冗談はさておき、(でも本当にメチャ混んでいた)意外に思ったこと二つ。ミュシャはアール・ヌーヴォーの旗手だと思っていたのだけれど、その点に関連する記述はあまりなかった。彼とアール・ヌーヴォーの関係に全く触れていない美術書もある。なぜだろう。意外な点二つ目は『スラブ叙事詩』から故郷チェコに対する彼の思いが伝わってきたこと。華やかなポスターからは知りえなった。彼はナチスに逮捕され、それが元で78で亡くなっている。このことも知らなかった。ミュシャの出世作『ジスモンダ』も綺麗だが『ビザンティンの東部、ブルネットとブロンド』の背景と、顔が描かれている円形のデザインのバランスがとてもよくて印象に残った。

三男の楽しいひと時

三男の楽しいひと時

その後、六本木ヒルズの屋上に上った。私は二回目だけど何か前と違う感じがした。ビルの、パトカーの上についている赤いランプの様なものばかり目立つ。東京タワーとスカイツリーだけがいやに美しい。「なんでだろう?」と首をかしげる私に若い友は言った。「あの、ゴールデン・ウィークだから本来の街の明かりが少なくてそれで飛行機除けの赤いランプが目立つんじゃない?」鋭い!!そうか、それでいつもなら500円とる入場料が、ただだったのかも。原因と結果を勉強できました。

色々な場所

日本は今、株高で沸いているが、福島原発の汚染水はどうなっているのか?全く報道がないことが空恐ろしい。前から災害が起きた時の地下鉄の対策はどうなっているのか、問い合わせしているがなしのつぶて。東京都の地下鉄は果てしなく深くなっていくようだ。深くなってもいいが、災害対策がどうなっているのかさっぱりわからない。地震、津波、火災、想像しただけでぞっとする。

テレビ番組で、ジャマイカやチリでたくましく、かつ楽しく暮らしている日本人を撮っていた。便利からはかけ離れた生活。でも工夫して地についた生活をしている。今の日本人に足りないものを見た様な気がした。勿論私にも。まず、シンプルライフを心がけよう。それから自分が大切だと感じるものにもっと丁寧に時間を使おう。人からどう思われるかは気にせず、人の喜びを自分の幸せと感じることができる生き方をしよう。以上Golden Week’s resolutions.(新年ならぬ、ゴールデンウィークの誓い)

熱海梅林の中のせせらぎ

熱海梅林の中のせせらぎ

昨日と今日のこと

G.W.後半はひたすらうちの片付け、と思っていたのだが久し振りになってしまった母への訪問、父と会食などして思うようにははかどらなかった。母は相変わらず衣服の好き嫌いがはっきりしている。持っていった派手なキュロットは「いや!」とはっきり言われ、すごすごと持って帰って今私がはいている。着る服が段々なくなってきたので、慌てて夏冬の入れ替えをした。長男曰く、「今、入れ替えなんかする人あまりいないよ。」ふん、服が多い証拠よ。(?)

公演で見つけた韓国の伝統的壁

公演で見つけた韓国の伝統的壁

 

今日は台所の整理をした。ステンレスの棚を買って来て、要らないものをかなり捨てて大分すっきりした。狭い台所が広く感じる。捨てるに捨てられない鍋、フライパンが多いのは家族が単身赴任したり一時独立していたため。息子達が出て行くとき又いるかな、と思うと余計捨てられない。断捨離は下手だな、とつくづく思う。明日からは又気功のことと着物の整理も考えなければ。このG.W.の自己評価、80%で良くできました。(大甘)

美術館巡り

G.W .後半は大人しくしているつもりだったが、券を頂いたこともあり、三つの美術館に友達と行くことができた。始めはフランシス・ベーコン。マイブリッジの連続写真に触発された画家の一人でもある。グロテスクにゆがめられた人間『法王』の絵や向こうが透けて見える人間を描いた。法王をこんな風に描いていいのか、とちょっとドキドキしたが、「内面のプレッシャーを描いた」というコメントを見て少しほっとした。

今、藤の美しい季節

今、藤の美しい季節

後二つは日本橋高島屋でしていた「瀧村平蔵時を織る。」展と森アーツのミュシャ展。瀧村平蔵、こんなすごい人がいたんだ、と驚いた。何故今まで知らなかったのか、高島屋が隠していたのかとさえ思ってしまった。(多分濡れ衣)初代は勿論のこと、四代平蔵が織る帯は意匠も新しく、ガラスのコップを模したものが立体的に見えて、始めて目にするものだった。この帯は私のあの着物に合う、と決して実現することのない妄想を楽しんだ。新歌舞伎座の緞帳を織り上げた方だということも始めて知った。(高島屋の展示は明日6日まで)ミュシャ展の話は又明日。

人生を楽しむために

人間が生き生きと生きていくのに必要なのは、衣・食・住と人生を楽しむ心だと思う。今日の朗読の授業で先生が、何をしても楽しいと思う人とつまらないと思う人がいて、一つ一つの積み重ねによって人生の充実度が違ってくる、とおっしゃっていたが本当にそうだと思う。

反対から見れば、普通に衣食住があり楽しめる心さえ持っていれば、人生、楽しめるわけだ。自分の人生を楽しみながら、真善美に対して敏感であり、又自分のことだけではなく、人の喜びを心から共有できる(悲しみを共有するより難しい)人間でありたい。授業の中で「息をすること」の中に生きる喜びを見つけて歩くという運動を展開した(している?)テイック・ニャット・ハンさんの詩随筆を読むことが出来た。これは究極の「生きる喜び」だと感じた。

日本家屋の美しさ

日本家屋の美しさ

面白い喫茶店

熱海駅を立つ前に、駅前のビルにある、チェーン店ではない普通の喫茶店に入った。で、私はケーキセットを選んだ。すると少し慌てて「どんなケーキがいいですか?こちらで決めてよければそれを持ってきますけれど」と不思議なことを言う。「選べるなら自分で決めたいですけど。」と至極まともな要求をすると、「ではついてきて下さい」というので(ああ、ケーキを作る所は別なんだ)と思いついて行くと、思ったより遠くで着いた所は何とケーキ屋さん。「好きなの選んで下さい」と言われて良く見ると、手に千円札を握りしめている。ガラスケースの中にはヴァラエティ豊かなケーキが。。。(でも値段もかなり幅がある)「どれでもいいんですか?」と聞くと「大丈夫です」との返事。ここでおかしさがこみあげてきて、値段が真ん中位のを選んで先に喫茶店に帰った。

熱海の港

熱海の港

ケーキセットなのでどれを選んでも値段は同じ。ケーキ屋さんと助け合って商売しているんだろう。(東京ではありえへん)と思ったけれど、熱海は熱海のスタイルでいいではないか、何だか面白い経験をしたと感じながら、買って頂いたケーキと出された紅茶を美味しく味わった。

芸術の春

帰京の日は梅林で有名な広大な公園に行った。そこに中山晋平が暮らした家が移築してあり、中に入って音楽家としてのこだわりを持った建築を見ることができた。彼は「シャボン玉」や「砂山」「肩たたき」「背くらべ」等、日本の童謡を沢山作曲している。もう一つは澤田政廣美術館。特に彼なりの現代的仏像が好きだった。彫刻では色はあまり重視されないが、「天人」はとても綺麗なピンクだったし、「蓮華」という仏像の色の使い方も上品だった。

中山晋平の家の中。日本家屋の良き時代

中山晋平の家の中。日本家屋の良き時代

ちょっと贅沢な昼食をとった後(うちにしては)駅の近くの池田満寿夫 佐藤陽子 創作の家に向かった。池田満寿夫夫妻が死ぬまで15年住んでいた家で、芸術家らしい意匠に満ちた家だった。videoを居間で見ることができたが、佐藤さんが池田からのlove lettersなどを見せながら愛の日々を延々と語る内容で、芸術への思いを聞くことができるのかと思っていた私は多少ずっこけたが、いわゆる不倫恋愛も正々堂々としていれば成就するのだな、純粋さが鍵かな、と妙に納得した。期待してなかった割には充実した旅だった。(To be continued)

熱海へ小旅行

貫禄の大楠

貫禄の大楠

家族と熱海へ一泊の小旅行に出かけた。とにかく二日間天気が良くて、新緑が綺麗で気持ちよかった。来宮神社(きのみやじんじゃ)の大楠は二千年経っていると言われ、ある方面から手をかざすと気がびんびんと伝わってきた。一周すると願い事が叶うそうで、「お金持ちになりますように」などと祈らないで、「私の気功が皆様の役にたちますように」と祈る偉い私でした。(どや顔)

でもここからが面白くて、ホテルで息子が「アバター見てないのか」とDVDを借りてきてくれて夢中で見てしまった。なんだ、アメリカは自分達がしていることがわかっているではないか、という映画だった。でも今考えてみると「天空の城ラピュタ」「Road of The Ring」と重なる部分が多分にあった。罪人が「もう弱りきっている」地球に帰らされる場面は笑ってしまった。

12時(夜中)にもう少し新聞が読みたくて下に降りて行ったら小学生が一人で卓球台にいて玉を突いていたので、思わず「少しだけね」と言って相手をしてしまった。羽根突きみたいに玉を上げてしまうので、「違うよ、横からかぶせる様にして打つの」と教えたらどんどん上手くなり、子供はすごいな、と感心したが20分程で夜中であったことを思い出して慌ててやめた。朝、うちの者から「大馬鹿者だ」と言われた。To be continued.

 

素晴らしい公演二つ

今日は午後から、素晴らしい公演を二つも見ることができた。一つはダウン症という個性を持ったリコーダー奏者の荒川知子さんとご家族のアンサンブル。第二部はフルート奏者のお兄さまとピアノのオリジナル曲を中心としたコンサート。どちらも美しい心がそのまま伝わってくるような演奏で、一時ざわついた世間を忘れた。第一部の「二羽の鳥、とびながら話している」は兄弟の演奏で息もピッタリで、お兄様が妹に「上手くなったね。」と声をかけられていたのがとても微笑ましかった。

CIMG0451夜はドリアン助川さんの「ブカレスト プノンペン チェルノブイリ フクシマ!」というタイトルでピクルス田村さんという若い青年と3時間近くぶっ通しで、リアルな写真を見せながら朗読と歌で語りかけてくれた。朝日新聞の人生相談で有名な方で、自作の詩も朗読も一つ一つ説得力があり、チェルノブイリ以外は自分で回っているので「現場の空気」をよく伝えてくれた。ある程度知っている、と思っていたのにそれが表面的であることがよくわかり、ライブの迫力と相まって衝撃的な感動だった。かなり深刻なテーマだったのに気持ちが暗くなることもなく、「現実」として受け止められたのは少し不思議な体験でもあった。