投稿者「貴如意」のアーカイブ

高尾山へ

気功クラスに参加して頂いている履修者の皆さんに、良い「気」に触れていただくためパワースポットを捜していたが、まず近場の高尾山はどうかということになり、今日八王子に住んでいる着物仲間の方と下見に行ってきた。天気がよかったが、木陰の多い六号道路を登ったので左程紫外線も気にならず、新緑や川のせせらぎを聞きながらの爽やかな登山となった。

高尾山とは関係ありません。午年なので。。。

高尾山とは関係ありません。午年なので。。。

幾つかの「気」がある所をチェックして神仏習合の神社もお参りして、下りのリフト乗り場に向かっている時のこと。見晴らし台のように広くなっている所で女性が二人上の方に向かってしきりに写真を撮っている。霊能力はない私だが勘はいい。何となく「これは」と思い、「何を撮っているんですか?」と聞くと「これ」と見せてくれた画面には、見ても何もないはずの木々の所に大きな繭玉のような、風船のようなしかも鮮やかな赤と青の色がついた物体が浮かんでいる。「これ、動くんですよね。」と言うので「他の人でも撮れますか?」と聞いたら、「撮れるでしょう。」と言うので連れの方を呼んで撮ってもらった。(なぜなら私の携帯の電池は切れていたから)

すると色はついてないが、確かに白いもやの塊のような物が撮れた。私は高尾山に住むという「烏天狗」の魂ではないかという気がした。帰る時になって、こんな不思議なものを高尾山の神様が見せてくださった。心からお礼申し上げます。始めて乗った下りのリフトから見た景色も広々として、最後まで高尾山を満喫したのだった。

今日の反省;(1)軽やかに登山するには太りすぎた.
(2)携帯の電気はいつもfullにしておくこと。

もったいない階段

忙しい毎日を過ごしているので、まとまった運動はなかなかできない。なので心がけていることがある。なるべくエスカレーターやエレベーターは使わず、階段を使うこと。これは運動、と足に言い聞かせ(?)片足ずつしっかり体重をかけて上がったり降りたりしている。降りる方が得意。

今は富士山も落ち着いているようです。

今は富士山も落ち着いているようです。

先日、私は神戸にいた。靴を三宮で買い、新神戸から新幹線に乗る予定だった。新幹線は11時46分発。外反母趾で合う靴を捜してもなかなかみつからないが、さすが神戸、全く痛くない靴がすぐみつかった。嬉しくなって途中でお昼のパンを買ったのがよくなかった。三宮で地下鉄のホームの時計を見ると11時31分。30分に出たばかりで次は38分。どう考えても地下鉄の神戸駅から新幹線のホームまで5分で行かなければ指定席はぱーになる。覚悟を決めて神戸の駅に着いた途端、新幹線のホームに向かって猛ダッシュした。エスカレーターは混んでいたが階段はすいていて、必然的に階段を駆け上がるはめに。ホームに着いた途端、新幹線も到着し、無事乗れることができた。動悸がしばらく収まらず、「心臓さん、ごめんなさい。」という感じだったが、日ごろの訓練の賜物と自己満足した。

ところが、次の日、体が疲れて思うように動けない。「年寄りの冷や水」という言葉が浮かんだ。そしてやっと、今までは切羽詰ってから動き、何とかなってきたのはいいけれど、これからは余裕を持って動くことを肝に銘じなければいけない、とまともな反省をしたのだった。

オセロゲームの行方ー小保方さんの場合

STAP細胞をめぐる論議がかしましい。存在するか、しないかで天と地に分かれる。門外漢なので、専門的なことにとやかくいうつもりはないが第三者的に感じたことを書いておこうと思う。

一つは今のマスコミの現状。この問題に関して全て同じ視点から見るので(或る週刊誌は無理に男女間の愛情問題として取り上げていたけれど、これは論外)小保方さんは白か黒になり、黒となるとオセロの様にパタパタと黒一色になっていく。 確かに責任を全て個人に帰し、「悪いことをした人」と決め付ければ関係した研究者、組織は安泰だろう。しかし例えば会社の組織で課長が取り返しのつかないミスをしたとして、部長や社長が外に向かって「悪いのはこの課長です。今から調べるのです。」というだろうか?見飽きたけれど責任者が組織の責任として並んで頭を下げるのがやはり普通ではないだろうか。

もう一つは早稲田理工の不思議。「博士論文を調べなおして、不正があった場合、学位の取り消しも検討する」ってそういう論文を指導して通したのは他ならぬ「あなた」ではありませんか?新聞に大学院に行く人が多くなりきちんとした指導ができなくなった、と書いてあったけれど、全くの本末転倒。小保方さんはコピペを良し、とする学問的環境で育った犠牲者なのかもしれない。

野に咲く花は大我の心

野に咲く花は大我の心

学問の府としての矜持はなくなってしまったのか。学問に必要なのは、ガリレオやブルーノのように、真実をみつめて戦った真摯な態度であることをもう一度思い出して、学校ごと出直してほしい。大事な母校なので尚更そう願う。

気功教室の方針

桜。目で見た本物の方がずっと感動的。

桜。目で見た本物の方がずっと感動的。

気功教室についての報告を久しぶりにします。昨年を一区切りとして、続けてトレーニングする方は昭島、国立合わせて8名。着実に気功ヒーリングができるようになってきました。国立で新たに履修する方は7名いますが、午前希望、午後希望と別れて、又2名は5月以降を希望しているので4月からの国立新クラスは午後から4名からのスタートになりそうです。(一人履修者が入ってくれます。)会社にセミナーとして入りたいという希望もあり、また基礎を履修して頂いた方に実践して頂く場を提供することに力を入れたいので、今回をもってしばらくは新しいクラスの立ち上げはしないことにします。

今年は履修した方の気功力アップのため、外で聖なる気に触れるパワースポット・ウォーキングを年二回春と秋に行う予定です。気功教室を始めたばかりでこれからの雛形を作る年なので、ゆっくりと、でも確実に進むつもりです。

とは言うものの、もう一年のquarter(1/4)は過ぎてしまいました。父母から孫まで4世代との関わり、色々な趣味やスピリチュアリズムの勉強、そしてライフワークとしての気功。この一年の家事目標である家に無用にある物の片づけ。これらを全てやろうとしてひっちゃかめっちゃかにならない様、優先順位をつけて毎日頑張り、一年の最後には「よくやった。気功師も順調に育ってきた」と有森さんのように自分を誉められるようにしたいです。

私事ですが。。。孫登場

私事ですが、3月25日(火)午前7時9分、初孫が生まれた。15日予定日だったけれど初めての子は延びると思っていたし、次男が予定日を過ぎること15日目で生まれてきたので、心配はしてなかったが、さすが一週間をすぎると気になり始め、ご先祖様や神様仏様に「困った時の神頼み」をしたのだった。

前日の明け方から陣痛が始まり、「順調にいって明日の明け方くらい」と言われたので朝病院に6時40分頃着いたら、30分もしないで元気な産声を聞かせてくれた。女の子です。

桃の季節に誕生

桃の季節に誕生

向こうのお母様がついてくださったので、処置が終わるまで待合室にいて7時半過ぎに部屋に入ったのだけれど、驚いたことに、生まれたばかりの赤ちゃんは目を開け私を見て微笑んだ!!!「えっ!」とびっくりしている間も新生児は部屋にいる人全員に目を合わせ、泣きもしないで笑いかけている。

顔立ちもえらくしっかりしている。少々のことでは驚かなくなった古強者(私)もただただ驚いて、圧倒されて帰ってきた。写メールを親戚に送り、親しい人にも見ていただき「何、このカメラ目線」とか「生まれて一週間というのならまだわかるけれど」という言葉を頂いた。

ところが、次の日に面会に行ったらなんと普通の新生児になっていて、顔の半分を口にして(要するに大口開けて)顔を真っ赤にして泣いている。抱くと「何でおっぱいくれないのかな」という感じで泣き止んで目を開け、ちらっとこちらを見る様子はなかなか大人びているけれど、昨日の様子とは全く違う。この日はママの回復力のほうに驚かされて、このママなら大丈夫と安心して帰ってきた。

以上のことを千葉にいる次男に報告したら、15日も遅れて散々心配させたことも忘れて、「ふんふん、やっぱり孫は誰でも可愛いんだな。」とクールに言った。フン!どうせバババカですよ。

今一番大事なこと

大分、ブログをつけるのが空いてしまったので、今日は少しまとめてつけようと思う。最近心配なのは、20代の男性の犯罪が目立つこと。生きる方向性を失った若者が多いような気がする。世間の価値観がお金と権力に一元化され、「他人に認められるかどうか」で自分の価値が決まってしまうのでは、そして皆が同じように考えているのであれば、少しでも不利な条件の環境では「浮かぶ瀬のない」人が多くなるのは当たり前だろう。

一瞬として同じではない空の芸術

一瞬として同じではない空の芸術

どう考えても教育のあり方を見直した方がいい。基本は、「どんな環境でも自分を誇れる」人間を育て、同時に「他人も自分と同じ様に尊重する」感性や考え方を身につけることだと思う。知識の詰め込みがどれ程役にたつのだろう。例えば日本史を大学の受験科目に選んだ人のどれ程が正確に、明治維新や日露戦争が始まった年号を正確に言えるだろうか?あっという間に忘れてしまう知識にしのぎを削って、人間として大事な視点が教育の実践で忘れられているように思われて仕方ない。

かく言う私も今だから言える。「流れ」の中にいる時は「泳ぎきる」ことしか考えることができなかった。或る人から私の中の「成果主義」を指摘されたが、それは受けてきた教育の賜物(?)だと感じる。日本を本当に大事にしたいのなら何より「自分という人間」「他人という人間」をしっかり尊重できる教育がまず必要だと心底思う。

苦しい生活を乗り切る方法

以前、雑誌で見た路上生活者の方の栄養の摂りかたに感心したことがあった。もっているお金は限られている。物は少しずつ沢山の種類を買うと割高になる。いわゆるまとめ買いがお得になる。そこで、一人が一種類だけをできるだけ沢山買う。何人かで材料を持ち寄ってお鍋料理をすると、栄養も偏らず、しかもお腹一杯食べられるのだそうだ。究極の生活の知恵だと思った。

花と光のコラボレーション

花と光のコラボレーション

私はこれから、庶民の生活はどんどん大変になると思う。生活を支えきれない、ということも起きてくるだろう。上記の発想はそんな時役にたつ。お互いに持ち寄って、豊かに暮らすという考えだ。住んでいる家が余裕があるけれど寂しい人は、家賃が高くて困っている人に安く間借りしてもらえばいい。子供が好きで沢山勉強してきた人は、子供にボランティアで勉強を教えればいい。経済的に考えればgive & give(与えるのみ)かもしれないけれど、人のために何かできる満足感を得られることを考えるとやはりgive & takeで、結局自分も人に支えられていることに気がつくだろう。

私の気功も持ちつ持たれつの精神でやっているし、これからもそういう気持ちで続けていきたい。

3.11に思う

うちの近くの一本松。

うちの近くの一本松。

あの3.11から3年。私の中では「もう」と思うけれど被災した方達はどうだろう。「莫大な義援金はどうなってしまったのだろう」と思っていたけれど、新聞を見て唖然とした。義援金ではないが「巨額の復興予算が使い切れず、積み上がっている」と出ていたからだ。その一方で、災害公営住宅は岩手、宮城、福島でいずれも計画戸数の一割以下しかできていなくて、入居できるようになった戸数は岩手は計画の8%、宮城と福島はたったの2%。「震災関連死」は3県で2973人。又プレハブ仮設住宅に住む人は約10万人にものぼる。お金を使い切れない背景の一つが自治体のマンパワー不足、というのだからもっと驚いてしまう。就職に困っている若者がこんなにたくさんいるのに。。。

きちんとした衣食住は日本では当然の権利であり、せめて気持ちのよい住宅に落ち着けることが再起を促すと思うのだけれど、テレビで見るプレハブ住宅の狭さでは、震災関連死が増えても当然だと思う。「少しの間」我慢する所ではないのだろうか。地方は都会の便利さと引き換えに、土地でも家でも広々とした住環境があったはずだから、あれでは余計こたえるだろう。

マンパワー不足なら、問題ごとに組織を立ち上げて住民に解決策を見出してもらえばよい。そのための資金はお金を使い切れない自治体が払うべきだ。また「弱い者の味方」であるはずの党は、今が出番のはずなのだけれど。。。理論だけでは説得力がない。具体策を提言してほしい。

震災や原発の問題で感じるのは、根本的なところで「誰も責任を取る」人はいなくていいのか、ということだ。原発廃絶を訴えた菅さんは辞めざるをえなくなってしまった。それで終わり?賠償問題は裁判になるけれど、震災関連死を入れて三万人近い方が亡くなり、その何倍もの人が生活に困っていて、お金だけの問題、想定外で片付けてしまっていいのだろうか?

少なくとも原発も誰がどういう思いで進めたのか、政治家は何を考えたのか、そこら辺のところもきちんと検証し、私達も理解しないと、又とんでもない間違いを起こしてしまうだろう。福島のことは過去ではなく、これからの日本を、私達の生活を考える上で、なくてはならない事実なのだ。

みんなで夕食

母の誕生日の後(10日程前になってしまったけれど)、うちで食事をしようということになった。8人もいたのでどうなることかと思ったけれど、何とか7時頃には用意できた。前日いり鶏の煮物を作っておいたので、少しは助かったけれど何と言っても女性が(小1の従姉妹のお嬢さんも入れて)四人もいたことが大きな助けとなった。三男も珍しく手伝ってくれた。

写真不足で雪の風景。でも綺麗でしょう?

写真不足で雪の風景。でも綺麗でしょう?

前から用意していた二人分のステーキを斜めきりにして八枚にして焼く。ソースはケチャップ、ソース、白ワインを煮詰めて。チンジャオロース、生ワカメのおひたし。サラダ(レタス、トマト、きゅうり、水菜)黒ゴマドレッシングで。牛蒡と豚バラと卵のスープ。これに煮物があってかなりの量ができた。ワイワイと楽しい時間だった。料理好きな母がいないことが本当に残念だったが、母が集めてくれたようなもので、母に感謝しながらの集まりだった。

それにしてもやはりこういう時の女性パワーは頼もしい。小学校1年生ながら、自分でできることを要領よくこなすKちゃん。積極的に手伝ってくれた従姉妹、場に溶け込んで手をせっせと動かしてくれた嫁のSさん。楽しい時間を一緒に過ごせて幸せでした。明日からの活力です。

母の誕生日

母が84歳の誕生日を迎えた。今年は年女です。施設に総勢8人でお祝いに行き、Happy  Birthday を歌ったり、姪の娘が弾くヴァイオリンを聞いたり、母と一緒にプリンやお菓子を食べてお茶したり、写真を撮ったりしてなかなか楽しい時間を過ごした。

母は医療者関係の予想と違って、少しずつ少しずつではあるが良くなっていて、麻痺していない左の手でご飯を上手に食べるようになったし、長男のお嫁さんはなかなか覚えられないだろう、と思ったのに会うとすぐわかり、嬉しそうに笑う。一時は30キロ台に減った体重は今は41キロある。私ももう母から「お父様」と呼ばれる心配もない。

うちの近くも随分変わった。

うちの近くも随分変わった。

すっかり施設に慣れて居心地もいいのだろう。規則正しい食事、生活、いつも一定の温度と湿度。煩雑な家事、気を使う人間関係、色々な心配事、全て解放されて(そのうちの何%かは私が負担していると思うけれど)意外と幸せなのかもしれない。もうすぐひ孫も生まれるし。存分に長生きして、人生始めての気楽な生活を楽しんでください。