投稿者「貴如意」のアーカイブ

お茶屋遊び

金沢では所謂御茶屋という所に二箇所も入ることができた。一つは今も営業している所、もう一つは建物が重要文化財になっているところ。京都では「一見さん、お断り」で馴染みの客でないと入れないことは良くわかっていたので、ラッキーだと思った。

何と特別に二人の美人の舞妓さんと80歳にはとても見えない、かくしゃくとした元お姐さんの三味線で、謡や舞を拝見後、特別な太鼓もたたかせて頂き、本当に御茶屋遊びをした気分になった。舞妓さんには特別なオーラが出ていて、それは女性らしいというよりも意外なことにどちらかというと男性的で、しなやかだけれど折れない強さのようなものを感じた。

綺麗な芸子さんの優美な踊り。

綺麗な芸子さんの優美な踊り。

勿論気功教室を開けるかどうか、の下調べもしてきた。特色ある文化があるところなので、しっかりしたimpactがなければ受け入れられないだろう、と気を引き締めた。不思議だったのは、城主だった前田利家と妻まつこの頭の良さに感心して帰ってきた日に、何気なくつけたテレビで金沢のことをやっていて二人のことを詳しく放送していたことだ。ローカル番組かと思ったがそんなことはなく、本当に偶然目にしたのだった。城主がYou are welcom.と言って下さるのだったら、来て気功教室をやってもいい、と本気に思ったおめでたい松の内であった。

金沢へ

車窓から。山の好きな私にはたまらない光景。

車窓から。山の好きな私にはたまらない光景。

今年はお正月休みが長かったので、二泊三日で金沢に行ってきた。本当はそろそろスキーを始めたいのだけれど、良い雪も降っていないようなのであきらめた。金沢でまず見たかったのは「金沢21世紀美術館」。SANAAが設計し2004年に開館した。SANAAは2010年にプリツカー賞(建築部門のノーベル賞と言われている)を受賞している。

とても個性的な建物だったけれど、展示スペースが広大で、このスペースに負けない芸術家が必要だと感じた。その芸術家の一人は柿沼康二さんで全身で書いた大きな書を展示していた。一見すると絵に見える「喰」やぼかしを上手く利用した「おまえはだれだ」が面白いと思った。

あまりインスタレーション(空間全体を作品として体験する)は好きではないのだがイスラム社会の一方に男性の視点、相対して女性の世界を写したヴィデオ・インスタレーションは社会構造とそれを外から見る私達の立場がその空間と一致して、不思議な高揚感があった。

能登の文化をそのまま持ってきたような島袋さん中心の企画も、この美術館ならではのもので、幅広く「美術」を扱っているのには好感が持てた。金沢を訪れた方は是非足を運んでください。

明けましておめでとうございます

あっという間に2014年になりました。今年もよろしくお願いします。一日にはおみくじを引いたり、サポーターズサイトに入っている人からのメッセージを受け取ったりします。そのどちらも今年はかなり厳しい年であることを示唆していて、正直正月からめげました。昨年は忙しくしつつも、何とか思い通りの仕事をすることができました。

それが今年は「何事も時の到るまで天にまかせて 静かに身を慎んでいれば。。。」とか「生きていくことの大変さを痛切に感じるかもしれません。」「一つや二つ嫌なことがあったとしても、音をあげないこと。」と少し大人しくしとらんかい、と言わんばかりです。

ガラス越しのお正月

ガラス越しのお正月

今の私の状況で音をあげた、というのはどうすることだろう。何か嫌なことがあって、(1)老いた父母や家族を捨てて山に逃げ込む。(2)今やっている教室を全てやめ、気功師の看板も降ろして遊興三昧に走る。(3)人間関係も嫌になって引きこもり、一日中音楽の世界や本や美術の世界に閉じこもる。外から見たら敗北かもしれないが、これらはなかなか楽しそう。遊興三昧以外はお金もかかりそうではない。これまでの人生で音をあげた覚えはないので、(不平不満やクレームは言ってきたが)今年は音をあげてみようかな。

明るく正しい新年の誓いではなくて失礼しました。皆様におかれましては、どうぞ良いお年をお過ごしください。

日本はどういう方向へ

日本はどこへ行ってしまうのだろうか?海外に出た時は日本の便利さ、居心地の良さ、食事の美味しさを思い知らされた。日本独特の自然の美しさも見直した。でも平和な日本にいる間にそれが当たり前になってしまった。もう少し世界に目を凝らして日本の良さを自覚すべきだったのではないだろうか?

沖縄問題を見ていると、日本はアメリカの植民地かと思ってしまう。武器や原発を作って売ると、景気はよくなるかもしれない。しかしそれは人を殺す道具であり、安全性は何一つ保証されていない代物だったりする。今地球で一番貴重なものはもはや命ではなくお金なのだろうか?そして人が他の命、植物や木、動物、昆虫をこれ程粗末にしていいのだろうか?

美しい日本、いつまでも

美しい日本、いつまでも

聖徳太子は「和をもって尊しとする」とおっしゃった。その和は人同士は勿論のこと、他の生きとし生けるものも包括しているはずだ。友達が「殺し合わなくてもいずれ死ぬのにね。」と言ったけれど、それが新聞にも出ていた。マザー・テレサが「諸悪の根源は利己主義」というようなことを言ったけれど、個人レベル、国レベルでそれをひしひしと感じた年の瀬だった。

気功クラスの反省

国立で今年最後の気功クラスを行なった。国立は八王子や浦和から来て下さっている方達もいらして、4月から月2回、夏休みも入れないで良く通って下さったし、続いたと思う。去年から始めた気功教室、色々反省点がある。至極当たり前のことだが、みんながみんな気功師になりたいわけではない、ということもやっとわかった。これは全体の期間設定に関係してくる。またお互いの人間関係にも目配りが必要。

どこから見ても聖なる富士山

どこから見ても聖なる富士山

言い訳になるが、病気になり施設にも入っている親や独居の親がいる中で、一人で気功の何もかもやるのは本当に限度があった。(でも、あれもこれもやっぱりやりたい)教室だけは主催している責任があるので何とか迷惑かけないでやってきた。(つもり)

気功クラスを開いてみて、一番わかったことは、何でも「やってみなければわからない」ということ。自営業者の苦しい立場や気持ちも少しは実感できた。「逃げた」ところは必ず結果に現れた。個人向けの気功クラスがいつまで続けられるかわからないが、どういう形にしろ気功を通して社会との接点を持っていきたい。またある程度習得して下さった方達にも、(希望なさるなら)活躍できる場を作ってさしあげたい。それには、まだまだ社会にアピールする私自信の力が足りないので、それがこれからの課題になるだろう。

大波小波

早い!もう今年は終わってしまう。時間は本当に容赦ない。「いつも駆け回っている。」というようなことを言われることがあるが、今年しようと思ったことも道半ば。要領が悪いのだろうか。満足しようと思ったら、簡単。やろうと思うことを少なくすればいいのだ、けれど。。。

もうすぐこの風景ともお別れ

もうすぐ、この風景ともお別れ

特に8月下旬に、長男に結婚することを告げられてからは忙しくてあっという間だった。あれよあれよという間に時間が過ぎ去っていった。(お金も飛び去っていった)夢中で過ごすというのはいいことなのか、悪いことなのか。気功クラスで瞑想すると5分ってこんなに長いのかと思うけれど。忙しいと充実はしているのだが、時間は短い。

毎日毎日やることが多いと、のんびりと本を読んだり、着物をリフォームしたり、ピアノを心ゆくまで弾いたり、と自分の中だけで閉じる世界に憧れる。でもきっとすぐに物足りなくなるだろう。我儘を自覚して時間と競争していくしかなさそうだ。

楽しい会色々

一枚の紅葉が頑張っていた

一枚の紅葉が頑張っていた

今日はもう水曜日だけれど、土、日は三つも会があり、せっせと参加した。一つは前々から伺いたかった方のおうちにお邪魔して、始めにトークを聞き簡単な昼食をはさみ、かなり近い距離からお話する機会があった。「オペラを自作自演して欲しい」と言うと「新作オペラは大抵成功しない。やりません。」「始めは小さくやってそれから海外に出ればいい。」と提案したら「あなた、その大金出してくれますか?」と精神世界の方にしてはとても現実的なお答えで、それはそれで大変面白かった。なぜかその後怒られて(「怒っていませんよ。」と怒っていた)帰ってきたのだが、不思議と温かいものが心に残った。

後二つは、英語教室の忘年会、と次男の高校の時の先生とそのクラスのママ友、という何か珍しい会。後者は話題の切手ビルの中の中華料理店で行ったが、普段の昼食では決して食べない豪華かつおいしい食事で(メンバーのコネも効いた模様)「今年は仕事も趣味も頑張ったし、母の所にもできるだけ行ったし、これはご褒美だな」と勝手に解釈して遠慮なく堪能した。三つの会に共通していたのは、気取る必要がなく自分を出せて心から楽しめたこと。

私がいることができる場所はこんなにある、と嬉しかった。でも遠出だったり着物を着て出た会があったこともあり、月曜日の午前中はぐったりしていた。今は元気です。

従姉妹の書道展受賞

先日、従姉妹の書が東京新聞主催の書道展で奨励賞を取り、お祝いに池袋のワールドインポートマートに行ってきた。この従姉妹とは一緒に暮らしたこともあり、妹のような存在だ。結婚の時も応援したけれど晩婚のこともあり、一人娘が巣立ったときに空の巣症候群にならないためにも、「書道の先生」になることを強く勧めていた。

母親譲りなのか、習ったわけでもないのに若い時から字が上手く、これは一種の才能だなと思っていた。本人も幼子を抱えながら毎週1時間以上かけて書道塾に通い、「お金がかかる」とふーふー言いながら、書道名を頂くまでになっていた。

居間から公園を望む

居間から公園を望む

今回の書道展は全国から集まった書の三次審査まであり、「実力」勝負の展覧会で彼女の書は勢いがあり、間もよく、短期間でよくここまでになったと感心した。半紙が大きいので字が上手いだけでは書ききれない。字に対する空間的センスといったものが必要で、アメリカに渡って美術を専攻して作品を作ってきたのも役にたったのだろうと感じた。自分で「遅咲き」と言っていたが、そんなことはない。これから花を咲かせようとしている一回りも年上の女がここにいる。とにかくおめでとう!前進あるのみ。

甲府収穫祭

甲府の紅葉も綺麗でした

甲府の紅葉も綺麗でした

11月29日に「エンジン01文化戦略会議」と銘打ったオープンカレッジが甲府であって、オープニングシンポジウムに江原啓之さん、乙武裕匡さん、中井美穂さんのトークショーがあったので行って来た。林真理子さんが幹事長として頑張っていて、パンフレットを見たら今活躍している錚々たるメンバーが参加していて驚いてしまった。しかもみんなボランティアというので頭が下がる。

教室での授業も満載で、今回は無理だったけれどとても魅力的だったので、又あれば三日間通いたいと思ったほどだ。トークショーは一時間半でたったの500円。江原さんの講演会は何度か行っているけれど乙武さんは初めてで、思っていたよりずっと骨太でたくましい方という印象を受けた。ネットでの誹謗中傷、罵詈雑言についての意見はスピリチュアリズム的見地からと「五体不満足」でもひるむことなく色々な経験をなさってきた方との意見がぴったり一致して、それがとても印象的だった。

お二人共普通以上に、世間の荒波を何度も越えてきた方達だと思うのだけれど、全く暗いところがなく、物事を全て自分の頭で考えてきて、自立し自律している姿を見ることができた。中井さんは私達目線で質問して下さり、わかりやすくしかも何度か笑った面白い、トークショーだった。冠雪の富士山も文化センター玄関からしっかり見えて、色々と啓発された良い一日となった。

秘密はばれる

特定秘密保護法案が成立しようとしている。識者を始め多くの人が反対しているにかかわらず、衆院は強引に通過させてしまった。私も勿論反対だが、反対に関しての意見は実にしっかりしているので、私は全く別の視点から考えてみようと思う。

まず何故これ程急ぐのか?アメリカの影響か?でも福島原発の情報開示はアメリカの方が正確かつ公明正大だった。しかしそもそも原発が日本に50基以上あるということを、かなり社会に関心を持っている人も知っている人は3.11より前は少なかったはずだ。原発がどんなに危険なものかということに関してはもっと知識がなかった。

わかっている人はわかっていたのだろう。そういう人が発言する機会が故意に奪われていたのかもしれない。結局、秘密にしなくても公然の秘密、にもならず日本人の意識にものぼってこなかったというのが本当のところだと思う。原発をとにかく作りたかった政治家の世論操作の意図がなかった、といえば嘘になるだろうけれど。

山梨からの富士山。喧騒が消えて、ほっとしている様な。

山梨からの富士山。喧騒が消えて、ほっとしている様な。

ところで「秘密」はばれる。秘密とした途端、それはマークされ、いつかはばれる宿命にある。何が「秘密」になっているかに関心が集まり、「秘密」はいつ世に出ようかとうずうずする。私は霊魂の存在を今はしっかり信じているので、「秘密」を作った人は本当に気の毒だと思う。あの世にいっても、いつばれかと気が気ではないだろうから。。。しばらくは心配でこの世を彷徨うことになるだろう。(いわゆる成仏できない)事故が起きるまで原発のことを知らなかったのは、自分の怠慢、プラス「秘密」の烙印がはっきりとは押されてなかったからではないか、と逆説的に思ってしまうのだ。