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又~したい

人生の折り返し地点をとっくに過ぎて、また去年と今年で人間の儚さを目の当たりにして、俄然やりたいこと、やらなければいけないと思うことはしておこう、という気分になっている。好奇心が強く、色々とやりっ放しになっているものが多い。登山とスキーもその一つ。スキーは私がしていた頃よりずっと板が短くなり、スピードはあまり出ず、回転は楽らしい。是非試してみたい。

縁起物

少し早いですが目出度い縁起物

山は大好き。勤めていたころ、ワンゲル部に入りよく山に行っていた。活動は私たちのよく行っている山が冬山になる前の11月3日が山行止め。「冬山は行かないの?」とある人に聞かれ、「まさか、そんな危ないこと、しませんよ。」と答えたら「あなた、スキーによく行くじゃない。スキーは冬山でやるものじゃないの?」となぜか怒られた。ごもっともです。スキーも山も、もう一度始めるchanceを狙っている。今はとても無理だけど。

今日の夕食

書くことに困ったら食事のことにしよう。毎日一番力を入れているものでもある。今日は息子二人も食べるということなので作りがいがあったけれど、長男には残してあったステーキを食べさせるため別献立になり、少々面倒くさかった。他の家族は餃子。餃子は冷凍だったが、始め冷凍のまま焼いてから水を入れ蓋をし、水がなくなったら、3分位蒸して最後に又油で炒めるとかりっとする。

付け合せはレタス、トマト、他ホワイトシチュー(鳥肉、人参、じゃがいも、玉ねぎ、キノコ二種類)ほうれん草のおひたし、里芋とイカの煮物。ちょっと重たいかな、と思ったのでシチューは薄目にして煮物は少なめにした。今これを書いていて社会人になって家を出た次男の言葉を思い出した。「中華なら中華、和食なら和食に統一してよ。」今思うになかなか鋭い子ではあった。鈍感な家族が残って良かった。(のかな?)

両国

ある駅の前。どこでしょう。

もう12月

ペンギンひたすらひたすら時間に追われた一年だった。といってもまだ一箇月あるけれど。色々なことが段々と早くなり、11月に入った途端、街にクリスマス・ツリーが出始め、御歳暮や年賀状、おせちのことまでどんどん考えなければいけない。追い詰められないと動かない私には、丁度いいのかもしれないけれど。

母が今日「何もすることがない。」と言ったような気がしてどきっとした。「何もできない」と言ったのかもしれない。脳の言語野がやられたので、人からの言葉の理解が難しい。でも母の言っていることは時々理解できる。何よりも話好きの母から言葉が奪われ時間を持て余している。娘の時間と足して二で割れるといいね。これからの母の時間が何とか楽しいものでありますように。

日本の岐路

仕事に関して、これまでさんざん甘い話に振り回されて実際危ない場面もあったけれど、すんでの所で引き返し難を逃れてきた。考えるに、肝心な所で依存心を持つと良い結果が得られない。今私の周りの人は信頼できる方ばかりで、安心してお願いした事をお任せできる。政治はどうだろう。安心して全てをお任せする政党を選ぶことは、今の状況では私にはとても難しい。

一階からの風景

一階からの今日の風景

今度の選挙で今後の日本が決まってしまう、ということは誰でもが思っていることだろう。何もかもが不安な世の中。どうしても自分と身内の保全を考えてしまうのは当然で必要なことだ。でも困難な状況にある人のことは忘れてはいけない。どうしてそういうことになってしまったのか。これからどうなるのか、現実から目を背けないで、でも過度な期待や依存心を持たないで、選挙に臨もうと思っている。

 

色々と補足

memento・mori (死をわすれるな)の概念の元に書いた絵にヴァイオリン(弦楽器)がでてくるということを書いたが、重複するモチーフにvanitas ( ヴァニタス) がある。これは「はかなさ」という意味のラテン語で、富や名声といったこの世の「はかなさ」を警告している。しかし「ヴァニタス」のモチーフを含む全ての絵が教訓を伝えるために描かれた、というわけでもなく、華やかな富の見せびらかしに対する言い訳的に懐中時計が置かれていることもある。(何かいじらしいね。)17世紀のオランダやフランドルでこのような静物画が盛んに描かれたので興味をもたれた方は調べてください。CPのWikipediaヴァニタスの項でコルネール・デ・ヘームの『ヴァニタス・楽器のある静物画』を見ることができる。

紅葉3

ヴェランダから見た景色

二つ目の補足。コンタクト・ヒーリングが終わった方は遠隔はもうしない、と書いたけれど、かと言って全く知らん顔するつもりもない。でも、もう自分の体のことはわかってくれているだろうから全てお任せ、というのはない、ということです。基本的に気功というのは自分の体を自分で管理する手段だから。勿論気功の良き理解者としてご縁が出来たので、何かあった時言って下さったら出来るだけのことはするつもりです。

再び気功のこと

今、気功ヒーリングと気功教室を行なっているがこの違いについて書いておこう。気功ヒーリングは基本的に個別なもので、目的は不具合をヒーリングしていく、ということ。一回30分なので集中的に気功するが、大抵の方が運動不足よりstretch不足の方が多いので簡単な体操もして頂く。最低二回は来て頂いて、その間に遠隔ヒーリングを入れていく。遠隔はfree of charge なので二回で四千円はかなりお得なはず。ただし、直接にするヒーリングが終わった方はもう遠隔もいたしません。永久にfollow したら膨大な人数になってしまうので。(笑)

国立大学通り

国立大学通り 元は滑走路という話を聞いた。

一方気功教室の目的は、自分でcontrolできる気をだし、それを役にたたせるようにすること。実践としてお互いのヒーリングは教室の中でしていくが、あくまで気を出していくのが目的。呼吸の仕方、気功師として気をつけるべきこと、ヒーリングの基本的知識、邪気の取り方、エネルギーの取り入れ方等を学んで頂く。遠隔はしないが、気を出すにあたり不具合な所はない方がいいので、教室の時間内でできる限りbad spirit をとっていくこともしている。気功師になりたい方、こちらに来てくださいね。今日は真面目なまま終わります。お休みなさい。

音楽の不思議

音楽は不思議だ。聞いているそばから消えていく。だから西洋美術で「メメントモリ」(死を思え)がテーマの絵画には骸骨(もろ直接的)花(いつか萎れる)食べ物(いずれ腐る)と一緒に楽器(大抵ヴァイオリン)が描かれ、音のはかなさを人生に例えている。

ここはまだ赤い紅葉はまあだだよ

ここはまだ赤い紅葉はまあだだよ

でも音はただ儚い(はかない)だけだろうか?音楽にどれ程の人が元気をもらっているだろう。私も落ち込みモードになりそうな時、ピアノに向かうとすっと作曲家の世界に入ってしまい、弾いているうちに何回か脱皮を繰り返し、ピアノから離れる頃はすっかり別の世界の人になって元気になっている。気に入った音楽を聞いている時も同じ。心は音と共にある。そしてどういう理由か知らないけれど、小学校や中学の育ち盛りの時に音楽の時間を減らしてしまったり、受験のために無くしてしまったのは大変残念だ。他の人の音を聞きながら音を合わせることは協調性も養うだろうし、情緒も育てることになるだろう、と思うのだけれど。

我愛する食洗機

もう15年以上使ってきた食洗機がとうとうガタがきて水漏れがひどくなり、修理に出した。私にとって一番役に立つ電機製品で、後片付けの力強い助っ人だった。中は一段で二つを入れ替えながら使う。大皿も鍋も入るのに立方体の形をしていて場所はとらないし、なんと言っても洗う機能しかついてなくて一回目は8分、二回目からは5分でfinishした。家族五人、時には父、母やお客様が来て七人分八人分の食器を黙々と、いえガーガー言いながら洗ってくれた。ところが、7年前水の出が悪くなって修理に来てもらった時、もう個人用には作ってないことが判明。(大涙)他に当たったが乾燥までついていて、洗う時間も40分とかすごく長い。容量も小さいのに場所をとる。

で、きてくれた方に「なんとか個人用もう一度作って」と泣きついたら、「それはわからないけれど中の機械が壊れることは滅多にないので、部品がある限り直しますよ。」と心強いお言葉。嬉しいのは朝電話すると、その日のうちに駆けつけてくれる。今日もそうだった。「これ持ってる人、手放さないでしょう。」と言うと「そうですね。皆さんずーっと修理してます。」ということだった。H電気さん有難う。私もこの機械くらい必要とされる人にならなければ、と物に教えられた今日でした。

秋真っ盛り

秋真っ盛り

 

 

お金の管理

牛と狛犬 谷保神社にて

牛と狛犬 谷保神社  にて

結婚して以来、どういう訳か家計の管理は私の役目だった。この前も書いたが基本的にaboutな性格なので、家計簿をつけることは苦手。始めの頃はつけていたが、つけている時は一円二円まで気になって、そのうち子供が増えてそれどころではなくなってしまった。そこで考えたのが、自動警告装置。どういうものかと言うと口座を二つに分けておいて、一つには給料日まで後10日分生活できる分をとっておく。(口座A)10日というのは耐えられる限度だから。もう一つの口座で生活して、大抵足りなくなるので口座Aから引き出すのだがその時、しっかり残額を日割りして足が出ないように生活する、という仕組み。ピンチ!という時も何度もあったが、少なくともその時から心を入れ替えるので、つまり節約モードになるので何とか給料日に行き着いた。

一方母は全くお金に対して無頓着なお嬢様タイプ。私が集金人に「今、母はいません。」と何度言わされたことか。つまり居留守。でも服でも着物でもバッグでもいい物をたくさん持ち、おいしいものも沢山食べて思う存分贅沢に暮らしてきた。そしてそのまま、お金のことなど心配しなくていい世界に入ってしまった。なんか母の方が正解のような気もする。

 

 

気功教室

昭島で何年かぶりの気功教室をした。場所を提供して下さったYさんとYさんつながりの方たちで普通に気功や、気功師である私をうけいれて下さってほっとした。何をまず伝えなくてはいけないかを考える中で、エネルギーとして大切にしているものが気と光であること、気を人の体の中だけで考えるのではなく、自然の気の在り方と共に考えること、気を出すには呼吸法と思いが大事な事等、基本的なことを私自身復習できてかえって有難かった。感謝です。

気功教室の役割としては大体、次の三つのタイプの人に適応できるように考えている。

yaho jinja

谷保神社 銀杏の黄色が燃えていた

知らない世界をのぞいてみたい(興味本位歓迎)、不調なところを良くしていきたい、気功師になりたい。この三つの要素を入れながらどこに重きをおくかで時間配分していく。今のところ一人でやっているので大変な反面、自由にやれる面白さがある。せっかく作っていただいたご縁、内容を充実させることで大切にしていきたいと思う。