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九月、ぼろぼろだった前半

8/31日に8月最後の気功クラスをした後、急に喉の調子がおかしくなり、声帯にきたのか3日間声もでなくなり、九月三日からの週は沢山あった三日以外の予定を全部キャンセルして、久しぶりに家でおとなしくして、23日にピアノのコンサート(発表会?)の曲を練習したりしていた。

症状はビー玉くらいの範囲の猛烈な喉の痛み。熱も少しは出たかもしれなかった。1日から4日はひどく、それでも相続税をおさめるために、3日、立川の税務署まで自転車ででかけた。今は想像できないくらい、猛烈に暑い日だった。そんな無理がいけなかったのか、両目の周りに赤い輪のようなものができた。花粉アレルギーとは全く違う症状で、気功があまり効かず、「これは多分風邪というよりウイルスのせいかな。」と思っていたけれど、あっ、何かまずいと思い、6日に色々用事がはいっていたこともあり、やっと5日に国立内科クリニックにでかけた。

電話すると、予約で今日は一杯だと言うので、喉が猛烈に痛い、というと、では長く待つかもしれませんよ、と言ったけれど入れてくれた。10時半頃着いたが、既にかなりの方達がいた。待つ間冷房がいけなかったのか、発作のように咳が出てタオルで口を押さえたけれど、暫く咳をして気がつくと、周りに座っていた方達は皆移動して、いなくなっていた。その後も時々咳をしていると、私の座った所が受付のまん前だったのが影響したのか、思ったよりずっと早く呼ばれた。

お医者さんは私の話を聞いて喉を調べて「もう腫れは随分治まってますよ。」とおっしゃった。でも咳がまだ出ます、というと「それは又別です。」「眼の腫れ、喉の痛み、は溶連菌のせいです。」と診断を下し抗生剤を含むお薬を沢山出された。これは高いだろう、とこわごわ隣接の薬局に行ってみると、「ジェネリックでいいですか?」と言われて「はい。」と言うと、あっという間に用意してくれて、しかも思った額の半分以下だった。

光の不思議。以前のせた写真です。また新しいの撮ります。

溶連金はほうっておくと腎臓にくることがあるので、出された抗生剤をきちっと飲みきることが大事なようで、それはすでに飲みきった。四日間ほど良く寝たが、あんなに良く寝たので一週間は寝ていた気になったけれど、そんなに長くはなかった。久しぶりにまとまって休めて、猛暑の疲れも全てとれた気がした。しかしキャンセルした事が全部もう一度しなければならず、無理しないように進めようと思う。と思いながら11日、12日は豊橋、名古屋、豊橋と駆け回り帰京した。まず、せっかちな性格を直さなければいけないのかも。。。気功の仕事を偶然、9月の前半は全く入れてなくて、仕事に穴をあけなかったのは、せめてもの救いだ。

追伸:気功が効きにくいものはウイルス(気で殺すことはできない)、常に攻撃される大気汚染(対処がおいつかない)ある種のかぶれ、陽転反応が激しすぎて耐えられないもの、等です。今回のことは、無理がたたったのか、猛暑による菌の活発化か、年のせいか(これは一番認めたくない)或いは全てが原因かわかりませんが、気功師でもこの様なことがある、と書きました。

 

遅くなりましたが、北海道の皆様にお見舞い申し上げます。

北海道モエレ沼公園と、札幌市の会館では地方始めての気功クラスを開きました。それから毎年行こうと思っていたのに、両親の介護が段々大変になり、そのままになってしまいました。

9月6日は、たまたま弁護士と会い、「いつどこで地震があるかわからないので、老朽化した建物は危ない。」という話をしてきた所で、夕方帰ってきて地震を知り、驚いて少しは落ち着いたかなと思った夜、気功関係で知り合った三人の方にお電話しました。

幸い家も大丈夫で怪我もなく、二人の方は「今、電気が通った。うちはプロパンガスだったので、何とか夕食もとれた。」とおっしゃってました。もう一人の方とは通じず心配しましたが、次の朝通じて、その方も「さっき電気が来て、ほっとした。まだ水が出ない。」と言ってましたが、「あなたが、一番初めにお電話くれた。」と喜んでくださり、とりあえずお元気そうでした。

被害に遭われた方達には、心よりお見舞い申しあげます。平穏な日常が早く戻られますよう、お祈り申し上げます。亡くなられた方達には、お悔やみ申し上げます。

本当に日本列島は今、噴火、台風や地震による洪水、強風、崖崩れ、とどれがどこに来てもおかしくなく、それに原発の損傷が加わると、安全に住めるところを捜す方が難しくなるのでは、と心配してしまう。自分は関係ない、とか対岸の火事とかいってられない事態で、人の痛みを我が事と捉えなければいけない、良い学びともいえるだろう。

また住むところも人任せにしないで、自分で災害マップ、土地の歴史を調べ、本当に納得したうえで購入しなければいけない、ということをこのところの災害は教えてくれている。勿論人智に限界はあるが、被害に遭った方達が身をもって教えてくださったこととして生かしていきたい。

早く日常が戻りますように。私も日常を噛み締めます。

 

始めての新盆(2)

次の日14日は、早く起きて「父の家」に向かうつもりだった。それが予定の一時間後に起きた。昨日疲れていたからしょうがないか、とあたふたと家に向かった。訪問客がみえる前に庭の雑草取り、仏様の御礼御膳の支度、効かないエアコンの原因がひょっとしてリモコンの電池切れかと持って帰っていたので、その確かめ(念のため、扇風機を東京から送っておいた)来客の準備、と暑い中、ショートしそうなくらいの用事があった。

日本の文化は美しい。ずっと残したい。

家に着くとあっと思った。庭の雑草が綺麗に刈られ、山に積み上げられている。ああ、弥生さんだ、弥生さんがやってくれたんだと思った。この方は私が小さい頃、家事見習いでうちに来ていた方で、私を大変可愛がってくれた。今は蒲郡のお寺の住職の奥様だが「私は何もお手伝いできませんので、草刈くらいしておきます。」と言ってくださったのを、80過ぎた方に、この暑いのにとてもお願いできません、とお断りしておいたのだ。昨日の夕方は迎え火にここに来たが、もう暗くてよくみえなかった。それとも、今日の朝早くしてくださったのか。感謝で一杯になった。

うちに入り、エアコンの不調はリモコンのせいとわかり一安心。エアコンが効かないと、いらした方は暑さで逃げ出すだろう。8時半から来客があり、15日午前中は送り火ということで田原市の菩提寺に行ったが、東京に帰る夕方までお盆の間中、誰かしらいてくださった。寂しい新盆でなくてよかったね、と両親に語りかけた。

仏様の御礼御膳はこの地方では七回朝、昼、夕と品を変え、作らなければならない。それがたった三回しかつくれなかった。それも「お盆時仏様用」レトルト食品を多用。母は特にグルメだった。「『新盆でこれですか!』と怒ってそのうち首になるね。」と親戚の人に言ったら「ここにいて新盆の用意をするのも大変。東京から来てするのはもっと大変。わかってるわよ。」と慰めてくれた。

ここでは、新盆のために特別な大きなお飾りを一対飾る。上に雪洞がついていて、着物の帯のような布が六枚くらい垂れ下がる。大人の背丈より、高い。それに新しい提灯一対。迎え提灯を一つ。菩提寺には亡くなった男性用に長方形の、女性には三角形の布に(今回は買ったが昔は縫った)お米を入れて納める。うちは家族と親戚で七つずつ納めた。そして新盆の家族は菩提寺に8月1日と15日お参りに行くことになっている。うちの菩提寺は田原市にあり、豊橋から1時間半かかる。

新盆のお供養代を持ってきてくださる方達にお配りする品、来客のお菓子、全て東京から送った。しかもこの準備をしている頃の東京、というか日本全部であったが、地獄のような暑さであった。

とにかく終わった。父、母一緒の新盆になったのは、私への両親の気遣いではないだろうか?そしてこういうことは大変な反面、地域の文化や風習を知ったり親戚の方達とお話できる大きなメリットがある。本当に色々な方達に助けられての新盆だった。大変だった半面、楽しんでいる自分もいた。両親は満足してくれただろうか?(食事以外は)

始めての新盆(1)

父母は豊橋出身だったので、両親の新盆は、8月13日、14日、15日だった。今年は10日、11日、12日と神戸で勉強会があり、長い旅行となった。始めての神戸だったが、新盆の用意の品をかったり、新盆で送って下さった方へのお返しもあり、時間がなくて全く観光はできなかった。(涙)ホテルの方に神戸の夜景を見られる近い所がないかと聞いたら、奥のエレベーターは34階のレストランまで行きますが、ガラス張りなので、そこに乗れば。。。ということで、そこから長方形に切り取られた夜景を見たのだった。それなりに綺麗だったが、やはり夜景は広がりの中で見るものだと感じた。外はもの凄く暑く、時間があっても出かける気にはなれなかったかもしれない。

勉強会では非常に貴重な経験をしたので、また少しずつ書いていくつもりだ。今回は新盆のこと。神戸から13日に豊橋に入った。既に迎え火の日である。父が豊橋の銀行に二つも取引をしていたので、そこに寄ってから、お墓に行くことにした。駅からお墓まで1.5キロ位。いつもならお花を買ってタクシーに乗るけれど、銀行に寄らなければいけないので、歩くことにした。丁度二つの銀行はお墓に行く途中にある。始めの銀行まで約10分。次の銀行までは10分以上。最後のお墓の近くのスーパーでお花を買う必要があったので、そこまで13分。しかし、最後に坂があった。汗だくでスーパーですぐ着替える。着替え、お線香、点火棒、迎え火用の松5、6本。二つの銀行の書類。これだけで、かなりの重さになる。

道々、私は勤めている時、登山を趣味にしていてよかったなとつくづく思った。さてと、お花。前にも書いたが、一基に花入れが二つ。何を血迷ったか、「まとめる」と言っていたご先祖様のお墓5基はそのままに、自分達の分として足した両親のお墓、ご丁寧に入り口にも花活けを作り、全部で14箇所の花入れがある。「新盆だから、今回だけ。」と自分に言い聞かせ、14箇所分のお花を買う。お盆故、お花は2倍近くにはね上がり、一万円以上お支払いし、お墓に抱えていく。また汗びっしょり。

遊び心のある公園

着いてあっと声をあげる。当然のことだけれど、雑草だらけ。トホホ。あたりを見回すと、さすがにお盆だけあって綺麗にしてあり、お花も沢山入っている。抜こうとすると、土がからからに乾いていて容易に引き抜けない。水汲みを何度もして土と花入れにじゃぶじゃぶ水をかける。持っていった軍手をはめ、片端から引き抜くが無駄に広いお墓で、60%取ったところでgive up。後は長男家族に任せよう、とさすがに疲労困憊になり、考える。(結局時間がなく、そのままに)やれやれ帰ろうと思ってもう一度周りを見回すと、まずい、お盆には必ず入れるほおずきを忘れた。泣く泣くスーパーまで戻り、もう一度買ってお墓に戻り、挿した。

あっ、そうそう迎え火焚かなくちゃ。お寺から頂いた松を山に組み立てて火を点けると、思いがけなく黒煙を出して勢いよく燃えた。親戚で迎え火からお墓を火事にして、大目玉をくらった人がいたことを思い出し、ひやっとする。周りのお参りに来てた人たちが、もの珍しそうに火を見ていく。えっ、いつの間にお墓で、迎え火をしなくなったの?東京にいるので、豊橋の動向はよくつかめない。それでも仲良くしてくださる、叔母様とか面倒を見てくれる親戚のお姉さまがいて、なんとかなってきたのだった。(続く)

ある女の子の死

残念なことに、子供の虐待死が後を絶たない。不思議なことに、写真で見るその子達は、とても愛くるしく天使のように見える。顔で判断はいけないが、あまりの可愛さに両親が嫉妬し、母親ももはや母ではなく、一人の女として対峙してしまったのか、と思うほどだ。

文書を残して最近亡くなった女の子は、文章を読むと気高くさえあった。人格の高さに、人の気持ちを失った両親はかえって追い詰められたのだろうか?女の子の内なる光がまぶしくて、殺してしまった、となると昔々、そうこの世界が始まった頃を思い出す。

白いお花はどんな花も浄化のイメージがある。

イエス・キリストの処刑。スピリチュアリズムを勉強し始めて、イエスの処刑の意味をずっと考えてきた。「自分達の罪を背負ってくれたから、自分達は無罪放免になった。信ずる者は救われる。」という見方がよくあるが、私にはあまりにも都合のいい見方だと思う。「イエス自身のカルマの解消」、これもイエスを余りにも矮小化している。イエスは生前、天の人達と交信できる程の霊格の持ち主だった。

私が考えたのは、(というかこれまでの学習の集大成として)イエスは人間のカルマを自分の身を犠牲にして表したのではないか、ということ。つまり、他の人にあれだけ尽くして、最後に酷い仕打ちを受ける、人とはこういうことができる生き物ですよ、ということを体現して示してくれたのではないか、ということだった。

女の子のつぶらな瞳と、一生懸命書いた文書を目にすると、この子も一人のイエスだな、と思ってしまう。

集中豪雨と猛暑

西日本豪雨の被害にあわれた皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

遠くから、早い復旧と猛暑で倒れることのないように、お祈りするばかりです。人手が要るということで、体力が許せば駆けつけたいのですが、こちらも連日連夜の猛暑で、自分の身を保つのが精一杯です。

自然と仲良く生きるのは難しい時代になってしまったのか?

岡山県で生まれ、倉敷市にも親しんでまいりました。募金受付する所がはっきりせず、やっと市役所と郵便局から気持ちだけ募金しました。

もう日本中、どこで何があってもおかしくない時代になりました。全てを我が事と捉えて考えるしかないと思っています。

どうぞ、心折れることなく、一日、一日を生き抜いてください。

これからもしっかり胸に刻んで、いつも被害者の方に思いを馳せるようにします。

 

KIRAKU   冨田 貴子

 

時間の不思議

このところ、皆さんと意見が一致しているのは、「時間の早さ」だ。毎日一生懸命生活しているのに、過ぎ去った時間はとても早い。もう今年は半分終わってしまった。ひょっとして、中身が薄いのかしら?特に予定を入れると、もうそこまで終わった気になるのは不思議だ。

六月のうちに、忘年会の予定を考えた。日曜日は第三なので16日、金曜日も初めの方に設定するつもりだ。そして、1月6日も母の一周忌と決めた途端、完全に今年は終わった気になった。鬼が笑っても笑わなくてもそのような気になって、何だか呆然とした。こんな風に人生って、あっという間に過ぎていくんだろうな。

暑い日に水は救世主

立派なお城を見るたびに、昔の技術の凄さと、それにかけた情熱を思う。しかし、「生々流転」や、鴨長明の『方丈記』の「ゆく「川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」という様な言葉を思い浮かべる。いや、もっとふさわしいのは芭蕉の「夏草や 兵どもが 夢の跡」だろうか?戦国時代に生きた人は、堅固なお城を作るのが至上命令で必要なことだった。日本の狭い土地を命をかけて取り合った。それがその時代の「正義」だった。今はお城は観光価値として大事にされている。元の水ではないのだ。

これから不動産に関する両親の「宿題」に取り組まなければいけないが、少なくとも〇〇家をかけての争いという馬鹿げたことにならないように、お城を時々見て方針を誤らないようにしようと思う。それが、お城が時間をかけて教えてくれた大切なことの一つだろうから。

 

「暇」について

「暇」の定義を自分が何かやりたい情熱が失せて、かつ、人から何も求められていない状態、と定義しよう。不思議なもので、忙しい時より何かしら将来や色々なことが不安になる。筒井氏も本に「人は活動的でなくなると日常の瑣末な出来事が気になる。」と書いているので、どうも「暇」は良くない。これが「余暇」というと、ぐっとプラスの響きになるのも面白い。

時々書くけれど、アメリカで非の一点打ち所がない男性が、つまり社会的にも家庭的にもお金、権力全て恵まれていたのにもかかわらず、自殺してしまった方がいた。誰も思いあたる節がなかったようだ。

私はひそかに(彼は暇だったのではないか)と思っている。何も案じることがない状態で却って、生きることの意味を見失ったのではないか、と。

白い百合は父方の祖父が好きでした。

ところで、難民の方の集団自殺とか聞いたことがない。宗教団体の集団自殺は聞いたことがある。戦争状態にある地域の集団自爆も聞かない。そのことを、うちにいらした方に話したら「皆、生きることに大変な所は、生きることに必死で、余分なことは何も取られて、生の本質が見えて、だから大事にするのではないかしら。」とおっしゃった。とても納得した。生きることに必死で「暇」ではないのだ。

自殺したアメリカ人男性のことを考える時、残念に思うのは、もし自分のことだけを考えるのではなく、人のことも考えることができたら、自分が他人のためにどれ程のことができるか気がつき、そうしたら、めちゃくちゃ忙しくなっただろう、ということだ。(彼なりに忙しすぎて自殺した可能性もあり、あくまで私の「暇」だったんだろうという推論にたっての感想)人の立場にたち、行動することによって、人から求められ頼りにされたら、違った種類の生きがいを彼にもたらしたはずだ。

という様なことを暇な時に考えた。あれっ、やっぱり「暇」って必要かしら。

 

AI(Artificial Intelligence=人工知能)!!!

もう何年か前に、アメリカに住む姉の家に行った時、二人で筒状の小さなコンピューターに話しかけて明日の天気を聞いていた。うわ~、ここまで来たか、と思った。どこまでがAIのなせる業か知らないけれど、「便利」を追求する一番の担い手であることには間違いない。便利=人の手間を省けること、と規定すると、これからの老齢化社会には必要なものもあるだろう。どうしても世の中は楽な方に流れるので、これからAIは幅をきかすことになるだろう。

ここでは、それをどこまでやっていいの?ということを考えたい。まず、AIの進出によってすぐに思いつくのは「人の労力」が要らなくなるということ。産業革命で機械化が進み労働者は仕事がなくなって怒ったが、今は人の頭脳に関係する分野でもそれが起こる。過去のデータの蓄積はお手のものだ。計算も速いし、統計的に推論もできる。ということは医療の分野でも十分機能する。もし、この病気にはこれ、といった療法がマニュアル化されているものがあれば、うちでコンピューターに自分の症状を打ち込めば、たちどころに直し方もわかるようになる。多分、セカンド・オピニオンを求めるまでもなく、あっという間に選択できる治療法が幾つか示され、それを自分で選択できるようになるだろう。

サプライズで、家族がAIと一緒になって帰ってきたお母さんに誕生祝を演出するコマーシャルをやっている。その時に思った。素晴らしい、誕生祝をされたお母さんもさぞハッピーだろう。でも、二度目はどうかな、と。多分もうサプライズではなくなる。マニュアル化されてしまったら予想できるから。手間がかからない分、容易になるけれど、人は実は自分のためにかけてくれた手間に、感謝とか喜びを感じるのではないだろうか?

アメリカの姉がよく、こちらではプレゼントは、手作りが何よりも喜ばれる、と言う。もてなしも手料理が最高だとか。プラグマティズムが主流のアメリカで面白いな、と感じたが、やはり心に関する分野はAIが人にはかなわない所だと思う。

医療でも、人によって体が皆違う、そこを昔のお医者さんは聴診器を使って、長年の経験と勘で診断を下した。経験を積んで、鋭い勘で治療できる人を名医と言った。また、本当の名医は、患者の心にも向き合った。医療が機械的になればなるほど、実はAIに近づくわけで英語でいうalternative(代替可能な)ものになっていってしまう。

せせらごぎとお花。いつ見てもほっとする。

人の心はマニュアル化できない。しかも始終変わる。そこに人間関係の面白さも難しさもある。そういう心にしなやかに寄り添っていくのは、やはり人の心しかないと思う。その分野にAIが入ってきて、人が使い方を謝ると、人の方が無機質化してAIに近づいていかないか、そして、奥ゆかしい日本文化にも多大な影響を与えることにならないか。これが杞憂であればいい、と切に願う。

(注)AIとは、人間の知的営みをコンピュータに行なわせるための技術のこと。またはそのプログラム。経験から学び、新たな入力に順応することで、人が行なうように柔軟にタスクを実行する。

介護の後で

父がが亡くなってから、七ヶ月が過ぎ、母が亡くなってからは、まだ半年過ぎたところだけれど、なんかもう、月日が随分流れたような気がしている。親戚の人が、がっくり来るよ、寝込むかもしれないね、と心配してくださったけれど、ミーディアムを通じて両親が出てきてくれたせいか、喪失感がほとんどない。ただ、最近、母が使っていた櫛に母の白髪が何本かついているのを見た時、なつかしさがこみ上げて来て、暫く撫でていた。

そんなことなら、母の髪を一房、切っておけばよかったのだけれど、何となく嫌がるかなと思い、また死者に対して冒涜のような気がしてしなかった。なかなか素直に二人に感謝できなかったけれど、今になっては、やはり世の中で一番私のことを思い、気にしてくれた人達だと感謝できる。

父の下の世話は随分したが、母は嫌だろうと思い全くしなかった。でも考えてみると、始めに入った施設で、オムツの取替えをする時は必ず「外に出ていてください。」と言われたので、そういうものかと思い最後までそのようになってしまった。特別そのことに関しては母は何も言ってなかったので、ほっとした。

土、日は必ず、一人ずつどちらかに行っていたので、(一日しか行けない時は一日に二人を見舞った)土、日にどこも行かなくていいということが、こんなに楽で、その分時間があるというのは、私にとってとても新鮮だ。毎日鏡の中で見る自分の顔も心なしか、最近疲れが取れてきた。今になって、やっぱり大変な六年間だったんだと思う。でも色々な方と知り合い、親身になって下さった方とも沢山出会えて、そういう意味では充実した日々だった。

 

美しい顔がぼけてしまって残念!滝を見て下さい。

両親に密に接することができて、アメリカの姉には悪いなと思ったことさえあった。相続に関する宿題が沢山あり、また当分それで駆け回らなくてはいけないが、両親や先祖の方々が向こうで、残した財産に誇りが持てるような受け継ぎ方をしていきたい。スピリチュアリズムを教えて頂いているE氏がよく「自分が汗水たらして得た財産でないものに、執着するのはおかしい。」と言っていたが、その通りだと思う。だから世の中になるべく還元できたら、と思っている。(とは書いたものの、相続の結果プラスになるかマイナスになるかは今のところ見通したたず)

もし余裕があったら、今、一番気になる、虐待防止に何か役にたてることができればいいなと考えている。