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医療に対する関心(2)-虐待についてー

社会問題の中で、私が何に一番心を痛めているかと言うと、「虐待」です。日本が一番様変わりしたと思うのも、親の子供に対する無償の愛がどこかに行ってしまったことです。

みんなとは勿論言いませんが、子供を自分のできなかったことの投影物にしたり、子供にかけたお金を子供から回収できるように思い込んだり、果ては孫ができないと嘆いたり、自分の将来のヘルパーになることを期待したり。。。要するに全て自分可愛い視点で、子供を見る、そしてそれがもっと高じると、ストレス解消の対象、もしくは新しいダンナにいい顔したくて虐待に到る。子供は神から預かりものであり、子育てはボランティアとスピリチュアリズムで教わったけれど、そういうことを知らなくても、愛情一杯で日本の母は子育てをしていたはずです。

不苦労とお花。背景はもっとすっきりさせなければ。

5月26日の朝日新聞beで、紹介されている友田明美さんという小児神経科の先生の記事から、虐待に関する重要な記事をみつけました。抜粋します。「厳しい体罰を受けた人は学びや記憶に関わる『前頭前野』が萎縮し、感情や思考をコントロールし、行動抑制力にかかわる部分もちいさく」なり、「暴言を受けた人はコミュニケーションのカギを握る『聴覚野』が変形」する。「言葉の暴力は身体的な暴力より脳へのダメージがはるかに大きい」「家庭内暴力を目撃した人と性的虐待を受けた人もそれぞれ「視覚野」が縮小していました」「(人間の脳は)大切な時期に、強いストレスがかかると、苦しみを回避しようとするかのように脳が変形し」「その脳の傷によって後に暴力的になったり、感情を抑制できなかったり、人間関係がうまくとれなかったりする」「薬物依存症やうつなどにもなりやすくなります。」

虐待で目をひくのは死に到ってしまったケースですが、この記事を読むとそこまで行かなくても、子供に対する声かけがいかに大事かわかります。母の姉に対する悪意のない一言が、いかに姉のトラウマになってしまったか、これで良くわかりました。要するに、子供は親の持てる愛情全て、というくらい注ぎ込み、それを態度、言葉できちんと表現することが大切なのだと思います。態度、言葉は心が出てしまうので、底に本物の愛情があること、これが必要条件だと感じます。

怖いのは、虐待の連鎖です。愛情を受けて育たなかった子は、自分の子供の愛し方がわからないといいます。救いなのは、血がつながっていなくても、本物の愛情を注いでくれる人がいれば人はきちんと育つということです。良い養子縁組なら、その方が子供も明らかに幸せでしょう。側に子供を見守る祖父母、親戚、近所の方がいるだけでも子供にとったらセイフティー・ネットになります。また医学的には「(傷ついた脳も)安定した環境や愛情の再形成(で回復します。)」ということでした。

とはいう私も、子育てに関しては間違ったことをしたことが多々ありました。友田先生から見たら「それも虐待です。」と言われるような、言動もあったと思います。友田先生ご自身も「自分の子育ても失敗の連続だった」と話されるそうです。

気功の仕事がもう少し軌道に乗ってきたら、子供の虐待の問題にも、経験と反省を踏まえて具体的に力を入れていくつもりです。

医療についての関心(1)ーがん免疫治療ー

クラスに参加くださっていたSさんが亡くなられてから、もう一年過ぎた。癌の再発が原因だった。私としてもどうしようもなかったけれど、もっと癌について知りたい気持ちと、日進月進の研究にも目配りしておかなければ、という気持ちがあり、新聞でみつけた最先端の癌治療についての講演が立川にあったので行ってきた。(何と無料)

初心者にもとてもわかりやすい講義で、驚いたことも沢山あったので自分の整理のためにも書いておきます。がんの原因は正常細胞に遺伝子変異が積み重なるためで、その特徴は○形が正常細胞とは違う○がん特有の物質を作る、などがある。

がん細胞の頭の(?)良さに、は~と思った。それは、○本来、自分を攻撃するはずの免疫を騙して自分を守らせる壁を作る。○免疫からの攻撃を避けるためにCTL(注1)を騙して友達のようなふりをする。(免疫逃避機構)○血管を引き込み、栄養は自分で確保する(血管誘導能)○がん幹細胞として骨の中にひそみ、休眠後は活動を再開し、再発・転移する。その際、新たな傷がつき、悪性度が高まる。◎がんはCTLの攻撃を受けた場合、攻撃目標(注2)を意図的に隠すことがあり(エスケープ)、そうなると、CTLは相手を見失う。とこれだけ生き延びる戦術を持っていることだ。

新しい免疫療法は◎に注目し、オプジーボなどの抗体では、がんのエスケープに対抗しきれないと考え、攻撃目標が多数になるようにデザインすることを目指した。がん細胞は人により異なるので患者自身の樹状細胞と自身のがん細胞を融合させたワクチンを作り(fusion)このワクチンを体内にいれる事により、CTLに沢山の種類のがん細胞の情報を提供させた。(樹状細胞のCLT細胞への教育)。融合細胞によって教育されたCLTは、目印を頼りにがんを見つけ、がん細胞に結合して攻撃する。攻撃されたがん細胞は、細胞の自殺(アポトーシス)をお越し死に至る。

がん細胞の目印は多数あるため、患者本人のがん細胞を情報源とするのが最適で、ワクチンの副作用は微熱程度しかないのが長所だが、いわゆるテーラーメードワクチン(自分だけ用)ということもあり、まともにやると五千万円かかるということだった。

玄関のお花。投げ入れはあまり得意ではありません。お花は大好きです。

大変ためになり講師の先生に「この療法はがんが遺伝子変異のためにできると考えていますが、例えば、ピロリ菌が原因の場合でも効く療法ですか?」と聞いてみたら、「一緒です。」というお返事だぅた。よく考えてみたら、原因が何であれがんという細胞には変わりないのだから、一緒なのは当然だろう。

感想:とても期待したい療法だけど、高値の花。(本当は高根の花)がんになった時、治験とか募集していたら、応募してみたい。生かしておくには年を取り過ぎている、と思われたら悲しいけれど。しかしがん細胞は頭がいい。でも、もう少し頭が良くなって、宿主を殺してしまったら結局自分も滅ぶ、と気がついてくれたらいいのに。AIをがん細胞にfusionするというのはどうかしら?SF的発想ですね。後20年もしたら、がんは克服できるでしょう、という先生のお言葉が頼もしかった。

(注1)CLT=cytotoxic T lymphocyte (細胞傷害性T細胞) リンパ球T細胞のうちの一種で、以前はキラーT細胞とも呼ばれた。免疫細胞療法の中では、がん細胞を傷害する代表格で、本来、がん治療に用いる場合、実際にがん細胞を攻撃することを確認したものをCLTと呼ぶ。

(注2)攻撃目標=がんの目印になるもの。たんぱく質が分解されたものでペプチドと呼ばれ、アミノ酸が10個ほどつながっている。細胞融合(fusion)でがんの目印全てを樹状細胞に渡す。

☆5月24日立川グランド・ホテルにおいて細胞治療技術研究所による講演に基づいて書きましたが、もし、私の思い違いなどありましたら、ご指摘頂きたいとおもいます。よろしくお願いします。

 

 

 

 

ちょっと失礼な話

今日は「食」について、ちょっと失礼な話を書こうと思う。前にも書いたと思うけれど若い時、ツアーを利用して友達とイギリスに行った。その時は七カ国ヨーロッパを回ったのだけれど、一番初めに着いたのがヒースロー空港、つまりイギリスだった。始めての海外でもあった。その時食べたイギリスの食事はどれを食べてもまずくて、荒く刻んだキャベツには、まだ土が付いていたりした。レストランで周りを見回すと、イギリス人が家族でも友人でも、黙りこくって出されたものを食べていた。私達は、「イギリスの人って、食べることが楽しみじゃないんだね。まるで義務みたいに食べて。これだけおいしくなければ、しょうがないか。」などと勝手なことを言っていた。

最近になって、どうやら日本人の食に対する意欲、関心は尋常ではない、ということがわかってきた。ある外国の旅行客の言っていることを耳にした。「『ご当地自慢』と書いてあるので何かと思って行ってみたら、食べ物だった。日本はどこに行ってもそこの『自慢』の食べ物がある。」確かに、そう言われてみれば。。。iイギリスに行って以来、何となく、外国の方は食にあまり関心もなく、味覚もそれなりになっているのだろう、と思っていた。

もうアメリカの生活の方が日本より長くなった姉が、日本でうちに滞在した時、夕食の後、「いいわね。あなた達、毎日こんなおいしいもの食べているの。」と溜息交じりに言った。(私の手料理、少し自慢)確かにアメリカでは生活が忙しく、外で食べるお昼は必ず、マクドナルドの類で毎日続くと本当にあきる。姉は日本人だから、やはり日本食が好きなんだと思っていた。

しかし、最近テレビを見て気がついた。日本の食のおいしさに気がついた外国人が、「これを食べたい」と目指してまで、日本にくる。または海外でも「日本食」はおいしいと、インスタント・ラーメンが人気だったりする。ということは、人の味覚は食べ続けたものを美味しいと感じるだけでなく、誰が食べてもおいしいものはおいしい、という人類共通の味覚部分があるのではないのだろうか。これは私にとって大きな発見だった。そうだとすると、これからも日本食は世界を席巻するだろう。

季節はずれですが、お花はいつ見てもいいですね。

これで終わってしまったら、気功師のブログらしくないので、もう少し書いておこう。人の中には良心というものがある。多分これも、人類共通の味覚と同じく、人なら誰でも共通に、多少の差はあれ生まれた時から与えられているものなのだろう。良心はスピリチュアリズムで、人は心に神を持っているという根拠でもある。これがあるために、人は嘘をつくと心が痛む。残念ながら嘘は人にはつけても、自分にはつけない。そして良心はそれを本当は許さない。(人のためにつく嘘もあるが、これは良心が納得する)結局、嘘をつくことで痛めつけるのは自分の心、ということになる。今、これに気づいて欲しい方が何人もいる。

父、母、その後 (まとめてブログ[1])

父と母のその後を書いておこう。(???)5月4日に叔母様と従姉妹が親子でこちら方面に来るというので、おば様には一度もうちに来て頂いたことがなかったし、自宅に来ていただくことにした。従姉妹は愛知県で、700床の大病院の精神病院の理事長をしている。お父さん(母の弟)から受け継がざるをえなかったのだが、とても謙虚できさくで付き合いやすい。叔母様も両親のことを大変案じてくれて、大変お世話になり、あり難かった。

しかし、ここに難問が。。。お二人とも、特に従姉妹が無類の綺麗好きで、ストレス解消が掃除と整理(捨てられる人)という、私にとってはこの点こそが手に届かない存在の人なのだ。来る二日前から、しぶしぶ?整理を始め、(弁解しておくが、掃除は好きでも嫌いでもない。幸いなことに汚れている所にいるのは嫌いだ。)G.W.中、一人でタイに遊びに行った人の片付けを真似て、せっせと目に付くものを二階や孫のおもちゃ&仏壇がある、ほとんど物置部屋になっている所に移動した。

だけれど、六年間、両親の介護のために目をつむっていた部屋の片付けはなかなかできず、というのもたまには整理しなくてはと思っていた所にくると、どうしても本格的に手を入れてしまうからだ。来る一日前にやっと「後三時間あれば、どうにかなる。」という所まで来た。12時に国立駅で迎えることになっているので、うちを11時過ぎに出るとして、明日は7時に起きれば大丈夫、と思いながら寝た。

つつじの美しい時も今年は早かったです。

さて当日、7時にきちんと目を覚ました。しかし、朝に弱い私は、後30分と思いながら、再び眠りについた。すると、母の「あつこさん!!!」という大きな声で飛び起きた。時計は7時半を指していた。その「あつこさん!」という声は「あ」と「さ」を強く言う独特のイントネーションで、結婚してから私を怒る時は、遠くからでもこう叫び、少し辟易した覚えがある。声も間違いなく母のもの。あまりびっくりして、いっぺんに目が覚めてしまった。お陰で無事、掃除も整理も終わり、叔母に「汚い、汚いと言っていたけれど、普通に綺麗じゃない。」(とても綺麗とは言わなかった)と言わしめたのだ。

後日姉にまた報告したら、「お母様もあの世に行ってからも、気を使って大変ね。」と今まで以上に大笑いしていた。やはり母に感謝するべきだろう。

 

LINK 出店報告

五月13日、国立市大学通りで、スポーツイヴェントである「LINK」に出店した。10時からで、3時過ぎには雨が降ってきて早めにお開きになったが、始めてのことだし誰も来ないかもしれません、とクラスの方には言っておいたのだけれど、意外にたくさん来て下さった。

午前中はいらした方が二人だけだったので、少し工夫が要ると思い、「KIRAKU」としか書いていなかった看板に「気功ヒーリング¥300/10分」とチラシに書いてぶら下げてみた。それで立ち止まる人が出始めたので、積極的に声をかけながら、もう一押しと思い、「首、肩、腰」と書いたのもつるしてみた。ここが治ると書くのはまずいかもと思い、ただ体の部位だけを書いた。

斜め前が本部席で、始めは可哀相に思ったのか、本部の方が来て下さっていたけれど、チラシが功を奏したのか、声をかけなくても人が入り始め、午後は応援の方三人と私の四人で一生懸命しても待つ方まで出るようになった。夕方は大雨になってきて、粘っていたけれど他の所は撤収してしまったので、もう、終わりね、と片づけている最後にも、一人来てくださった。思いの他沢山来てくださり、やりがいがあり、とても楽しかった。

下に見えるのは土ではなくお花です。大きな木も好き。

でも一番嬉しかったのは、午前中親子で、午後は三人応援に来て下さったクラスの人が、知らない方でも物怖じせず、たんたんとヒーリングして下さり、任せておいてもきちんとヒーリングできるまでになったことだった。中には「私は、何もしません。ただ座って見ているだけ。」と言っていた方も人がみえると熱心に手を動かしていて、皆さんのためにも、こういう場を増やしていこうと考える場になった。

帰りは国立に住んで20年も経つのに知らなくて、クラスの方につい先日教えてもらった「高倉町珈琲」で反省会を兼ねながらお茶を飲んだ。偶然、昨日その「高倉町珈琲」が「カンブリア宮殿」に出て、国立店も映ったようで(店の作りがどこも似ていると思うので、本当のところはわからない)なかなか思い出深い出店となった。出てくれた人が、「面白かった。」と言ってくれたので、私もとても満足しました。来てくださった方達にもお礼を申し上げます。

相続の書類

父と母が相ついで亡くなり、税金関係、年金関係、お墓関係と書類をたくさん取り扱わなければならず、ただでさえおっちょこちょいなので、揃えて送ったと思っても足りなかったり、印鑑を押すところが抜けていたり、他にも何らかの落ち度で書類に不備がでるだろうことは簡単に予測できた。(勿論、予測できたからといって、威張れることではない)覚悟はしていたといっても、お通夜、お葬式、四十九日の法要と慌しく、疲れてもいたしやはり両親が亡くなって動転もしている。余計ミスが多くなる。

綺麗なお花頂きました。父方の祖父、百合が大好きでした。

そこで、考えた。行かなければいけない市役所の各部門に行って、亡くなったことを告げ必要な書類(夫々複数になる)を受け取る。次にそれら、つまり戸籍、住民票、年金関係にいる書類をそのまま袋に入れて、ついでに自分の証明書、印鑑も入れておく。送られてきた書類もそのまま入れておく。もし、記入すべきものがあれば、しておく。それらを全て持って、(自分でそこから必要書類を選ぶことをしないで)提出すべきところに行き、「ここから必要な書類を全て取ってください。」と言う。相手はプロだから必要な書類を必要な枚数だけ取って、もし記入漏れや印鑑の押し忘れがあれば、その場で完成させる。証券会社にも同じようにした。

うちの場合、去年の夏に、二人共練馬区からここに住所を移したので両方から書類が押し寄せ、余計大変だったけれど、うちで書類と格闘するよりもこの方がずっと楽で、よく書き方がわからないものは担当の方に見て頂きながら記入していった。素人は介入しないで、プロからプロへというやり方で、たまに書類が足りなかったりしたら直接相手の担当者に電話して下さり、「私が失くしたかしら。」と思い悩むこともなかった。さっさとできて気持ちよかった。

若い頃、幼児や赤ちゃんの洗濯物で振り回されていた時、友人が「干して取り入れてたたんでタンスに入れるから大変なのよ。干したらそのまま室内に持って来てそこから必要なものを直接取るの。」と言われ、確かにそうすれば時間短縮になると感心した。けれど、お母さんが服をたたんだりしまったりするとオーラマーキングに(お母さんの子供を思うオーラが服に付着し子供が愛情を受け取る)なるそうで、それを知ってしまったら、これはあまりお勧めできないが、書類はオーラマーキングする必要がないので書いてみた。必要な方は参考になさってください。

 

職業に貴賎あり?

あまり、政治に口出さないようにしてきたが、最近のことで(もう去年のことだけれど、色々あって遅くなった。)えっ?と思った事があったので書いておこう。それは菅官房長官が「出会い系バーに行っていた人間の言うことなんか信用できない。」というようなことを、加計学園問題に一石を投じた元事務次官の前川氏に対して言った言葉だ。私的には前川氏の言うことが、最近の動向を見ても正しいのではないかと思うが、それはさておき、何故、「出会い系バー」に行くことが信用できない人間と断定できるのか、と考えてしまった。

例えば、違法行為がはっきりしているバーに足を運んだなら、その言葉も納得できる。でもそうではなく、堂々とそのバーは営業している。これは菅官房長官の職業に対する差別意識、もしくはその職業につく女性にたいする偏見が出てしまったのではないかと感じた。シングル・マザーでどうしても経済的に困る人には、子供に手がかからない時間帯で、手っ取り早くお金を稼げる夜の職業はあり難いはずだ。違法でないなら、「職業に貴賎なし」の観点が欠けている。政治家が言ってよい言葉だとは思えない。もし、個人的にそういう所がお嫌いなら、日本に働きに来た外人女性、シングル・マザー、が困らない仕事場所や環境を提供する努力をする事が政治家として筋だと思う。

その口でカジノ法案は通すところを見ると、カジノはオメガネにかなっていたようだ。カジノって賭博ですよね。私もラスベガスでしたことはあるけれど、雰囲気が異世界で「これはのまれると、大変なことになる。」と面白い反面、怖かった。日本に作った後で、本当の意味で責任持てるのかしら。お金を稼ぐことだけを考えていると、とんでもないことになると思う。

春爛漫、花粉症がなければ、素晴らしい季節。

先の話に戻ると、この発言に対してマスコミも何のツッコミもなく通り過ぎてしまった。レスリングにおけるパワハラ、政治家のセクハラ発言、日本の女性の地位が先進国で非常に低いのも頷けるというものだ。けれど、いい地位を与えられて半分男性化し、同姓に対して上から目線の、ある大学のお偉い女性も見たくなかった。日本の女性にも自立心の欠如や依存体質など、直すべき点はたくさんあるけれど、(勿論私も)島国日本の中年以上の男性の(みんなとは言わない)女性観を変えるのは、トランプ氏が作りたい壁よりはるかに高い障壁があるようだ。

あるミィーディアムとの出会い(3)

この話は今日で終わりにするが、もう一つ叔父(母の一番下の弟)のことを書いておきたい。ゲイルさんの公演会で、母に関しての情報を沢山頂いた話は(1)で書いたが、その中で、「兄弟の方も一緒にいます。どなたかわかりますか?」という質問があぅた。

勿論、母よりたった八日前に亡くなった叔父に決まっていた。父は人に対して好き嫌いのあった人だったが、この叔父とは肌があったのか、旅行にも一緒に行ったりした。叔父を真ん中に父と母が写っている写真があり、ああ、この順に逝ってしまったね、とお葬式の時にも話したりした。兄弟と言ったので、叔父しか思い浮かばなかったけれど、母に遅れることきっかり二週間で逝った伯母もいたかもしれない。

叔父は外科医をしていて手術がうまかった。私はしつこい足の魚の目を切ってもらったことがあったが、後全く痛まず又、再び魚の目ができることもなかった。それを叔父に言うと、「当たり前だ。切り方が上手いからだ。」と自慢していた。次男が階段から落ちて頭を切った時もさっさと縫ってくれた。母はこの叔父に料理を作ることが楽しみで、家族に作る時より喜々として作った。(ようにみえた。僻みかな。)

前にも書いたが、姉が小さい時、来る人来る人に母はあろう事か「私はこの子(赤ちゃんの私)のほうが可愛いいんです。主人はM(姉)のほうが可愛いんです。」と言い、それは今70近くになる姉の心の、ずっと傷になっていたことを母が亡くなる直前に知った。だからどうしても母が生きているうちに、母と姉を二人きりにして胸の内を吐露してもらいたかった。年内はアメリカから姉は来られなかったので、どうしても年内は生きていて欲しかった。

父と大体同じ経過を辿った母は、12月25日にとうとう点滴が体にはいらなくなった。父はそれから三日して亡くなった。死亡推定日は12月28日と思い、あせって先生に中心静脈に点滴を入れる手術をお願いして、26日に手術。一時持ち直したようにみえた。1月二日に姉が到着。六日の母が亡くなる日まで、二人にする時間もあり、姉は母に色々話すことができた。本当にほっとした。

夜桜。迫力満点でしたがもう今は葉桜です。

ところが、母が亡くなるかもしれないと思った日に叔父が亡くなった。寝付いてはいたけれど、その頃は比較的元気、ということだったのに、28日の夜中に突然逝ってしまった。1月28日は叔母の誕生日なので覚えていてもらいやすい、ということもあったかもしれない。面白いことに叔父の忌明けである49日目が叔父の誕生日でもあった。

でもやっぱり私は、母が本来逝く日であった28日に「いいよ。俺が代わりに逝ってやるよ。Mにちゃんと会え。どうせ大して違いない。」と代わりに逝ってくれた気がしてならない。そういうやさしい所があった。母は母で、6日は大好きだった両親が亡くなった月命日なので満足だったと思う。亡くなる直前二度、はっきり目を開いて上の方を見て「ああっ!」と大きく叫んだ。苦しい感じではなく、何かびっくりしているようだった。姉と私は「お迎えの人が来たね。」と言った。

どうやら母は向こうで色々な人に囲まれて、賑やかに楽しく暮らしているらしい。長い反省が始まるということなので、そうそう騒いでばかりはいられないだろうが、暫くは近くで亡くなった父、叔父、伯母と一緒じゃないかな。私は寒暖差のせいで最近どうにも眠くて、昼間、ちょこちょこ寝ているが、寝ている間は向こうの世界に行くらしいので、しょっちゅう会って色々叱られたり、アドヴァイス受けたりしているのかもしれない。最近、睡眠時間が多く、そのせいで多くの方が心配して下さった、「逝かれて、がっくり症候群」が全くないのはあり難いことです。向こうで両親は生きている、と実感したからかもしれない。

 

 

 

 

 

あるミィーディアムとの出会い(2)

少し時間が経ってしまったが、この前の続きは次の日の3月26日、月曜日のこと。主催したWさんのご好意で、個人的にゲイルさんとお会いして相談できることになった。(これをシッテイングと言う。イギリス、アーサー・フィンドレ・カレッジで覚えた言葉だが、ネットにも「霊視」とのっていた。)何を相談したかは、プライヴェイトのことなので、ここには書かないが、とても面白いことがあった。

Wさんのアドヴァイスで、両親の写真を持っていった。持っていった方が、通信しやすいのではないかということだった。前日に母の写真のことを言われたので、「遺影として選んだのはこの写真です。」とお見せしたいという気持ちもあった。

始めてすぐ、ゲイルさんが「お父様が来ています。」とおっしゃったきり、暫く目を丸くして黙ってしまわれた。私も黙っていると、少し困惑しながら「あの、すぐ、お母様もいらして二人でここで議論なさっています。」と言われたので、思わず大きな声で笑ってしまった。二人は、特に母が元気な時は価値観の違いから喧嘩が絶えず、それを新井薬師の御前様の前でも平気で二人で大声で言い合い、私は肩身が狭かった、という過去があった。どうも私が持ち込んだ相談で二人の意見が違うらしい。これが両親である証明でなくて、なんなんだという様子だった。

そのことについては、どうも父が折れて、というか納得して母がメッセージを伝えてくれた。それとは別に母は「お父様はこちらに来て短い間に随分変わった。あなたに見せてあげたい。」と言ってくれた。父は頭はすごくいいけれど、利己主義で頑固、ケチな面があり、母が倒れた後世話をするのに少し苦労した。昔しか知らない姉は「そんなとこだけではない。やさしい面もあった。」と言っていたが、父は、私を母の代わりとみなしたのか、かなり我がままを言った。するとゲイルさんが父が私にapologizeしている、(謝っている)と言ってくれて、その言葉を聞いた途端、ああ、美輪さんが「人の個性は死んでも変わらない。馬鹿は死んでも馬鹿のままよ。」という名言を吐かれたが、父は変わってくれたんだ、湯灌の時、「ご苦労様でした。しっかり休んで気がついたら、今までのこと、よく反省して、あの世でもご活躍ください。」という言葉が届いたのだろうと、全ての嫌な思い出は雲散霧消してしまった。そしてあの世に逝っても親というものはやはり、子供のことが気になるのだ、しっかり生きなくてはいけない、という思いを新たにした。

今年の桜は綺麗でした。お父様、お母様もみましたか?

次の日、早速アメリカの姉にこのことを報告した。すると「や~ね~、あちらの世界に逝っても二人でそんなことしてなきゃいけないんだ。」と笑っていた。そして、私が相談に入ったらすぐ、ドアが風もないのに二度すごい音が鳴り、終わる時も同じように音が二度して、それは「冨田さんの時が一番大きかったけれど、他の方も大体同じようで、ああ、今誰か入いった、とか出て行ったとか話していた。」と言われた話もして、「私の想像だけれど、二人は新入りなので、まだドアの通り抜け方に慣れてないんじゃないかしら。だから他の人より大きな音がしたのよ。」と姉に言ったら「それは絶対そうよ。」と言ってまた笑い転げていた。こんな会話ができるだけでも、姉がいてしみじみ良かったと思った。

 

 

 

あるミィーディアムとの出会い(1)

以前、クラスにいたWさんは、今、日本科学心霊協会という所にいる。ある日、電話を下さってイギリスから、霊媒師を目指す人を育てていた程の女性の先生が講演にみえるけど、来ない?とお誘いくださった。(霊媒師とは、亡くなってあちらの世界に逝った方と通信して私達にその言葉を伝えることを仕事にしている方達を言います。)良く誘ってくださるのだけれど、忙しくてなかなかいけなかったし、最近両親もあちらの世界に逝ったので、ひょっとして何か言ってくれるかしら、という期待もあった。

その霊媒師はイギリス人でGail Moffat さんという方だ。とても優しい感じで、わかりやすい英語で話してくださった。後でやり方を変えたが、始めはこんな人が来ていて、こんな風に言っているけれど、心当たりの方いませんか?と聞いて手を上げた人に、本当にその人の関係の人かどうか、詳しく聞いて、その人に間違いがなければメッセージなどを伝えていく。

後半、「その人は亡くなる前何年か口をきけませんでした。」と言ったので、はっとして母ではないかと思った。6年前脳溢血で倒れた時、脳の中の言語野という所にダメッジを受け、話せなくなっていたから。しかし「その人は『乳がんで亡くなった。』と言ってます。」と言ったので、あっ、違うと思った。他に当てはまる方がいて、ゲイルさんと話していたが、なくなった原因以外全て私に当てはまったので、聞いてみた。

すると「少し二人がシンクロしてしまいましたが、確かにあなたにも来ているので言っていることをお伝えします。」とおっしゃって下さり、以下のことを伝えてくれた。○喉が悪く、それを医師に上手く伝えられなくて、それが悩みだった。(母は倒れる前から喉、気管が弱かった)○良い写真を選んでくれた(死に顔がとても綺麗だったので、若い時の綺麗に写っている遺影を違和感がないと思い、皆で選んだ)○皆で思い出話をしてくれて、その内の一人がした話で私が『お母様はこんな人まで世話してたんだ、と驚いた。(全くこの通りで、親戚のY君の下宿のお世話をしたことは、その時まで知らなかった)○母にと言って持ってきてくれた物を他の人に渡した(お見舞いに来て下さった方は大抵お菓子を下さったが、母が食べられないものが多く、勿論ご家族の方にでも、という気持ちで持って来て下さったのだけれど、施設の方がとても良くしてくれたので、施設に置いてくることもあった)○何度も何度も会いにきてくれた(最後の三年間はうちの近くだったので、せっせと通うことができた)○自分は料理が得意だった(これも周知のこと)○オシャレな人で、私に「あなたも少しは身なりに構いなさい。」と言っています、とゲイルさん(これを聞いて母だという確信をもった。若い時から全く同じ言葉を何度も言われた。倒れてからも目でいつも服装をチェックされた)○私が良く皆のお世話をして、向こうの世界で母はこのことを誇りに思っている(これを最後に言ってくれた。イギリスで別の方にシッティングした時も同じことを(故)叔父から言われた)

青空に桜が良く映えて、今年は桜がとても綺麗だった

霊魂は向こうの世界で生きてますよ、ということを証明することが、こういう会の目的でこちらから質問することはないが、これだけ、私しか知らないことを次々と言われて母であること、母は向こうの世界で健在だということがしっかりわかり、色々な疲れは吹き飛ぶ思いだった。「天は見てござる」というのは、ただの諺ではなく、事実、と確信もした。

今、この文章を書いていたら、いきなりお線香のいい匂いを強く感じ、ああ、これが所謂「芳香現象」か、書いていいかなと少し迷っていたけれど、いいのよ、と言ってくれたと安心しました。

貴重な経験、霊界とゲイルさんとYさんに心からお礼申し上げます。お母様、有難う。これからも、そちらに行くまで頑張りますね。