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日本は存在できるのか(しら)?

新年早々、暗い話をするな、と怒られそうだけれど、この先日本はどうなってしまうのかと心配になる。土地だけでなく水道法、種苗法と根本的なところで日本が売られていくような気がする。

ヘリコプターから外国人が降りてきて、店の主人に「ここの店の物、全部買います。カード使えますか?」と聞く。使えないと聞いて、ではやめます、と言って去っていく。私には「日本、買います。カード使えますか?」と言っているように聞こえる。買えないで、去っていく外国人にどこかほっとしている。

令和二年が魂の前進の年でありますように

文化的なことでも、日本の文化を大事にしているようには思えない。体育にダンスを取り入れるなら、日本舞踊や能、狂言、歌舞伎の所作を学ぶ選択があってもいいと思う。音楽はもうずっと前から唱歌が少ないか、なくなってしまった。日本の情緒をどう伝えていくのだろうか?そして国語まで、日本の名文を止めて、実務的なものにしていくようだ。

いじめなどの問題は、相手の気持ち、立場が理解できないことから起きていると考えるけれど、今までは自国の文化を通して情緒や、人間らしい感情を育てたのではないのだろうか?

最近、どうしてこういう政策をとるんだろう、と思うことが多く、私なりにそのズレについて考えた。一番大きな原因は「これは問題」と思うところが違うということだ。不思議なのは経済、経済といいながらその経済で苦しんでいる人がどんどん増えていることだ。これからどうやっても人間がAIにおされる時代なんだから、人は人らしい感情や情緒の部分で幸せをつかむ方向に向かった方が得策だと思う、とこれは理性で考えた。

とうとう、また大晦日

ああ、一年は早い。最近特に早い。まだ7月までは何となく月日を意識している。ところが8月になった途端、わ~っと時間が走り出し気が付くと、大晦日になっている。

気功師としてはもう25年、クラスを始めてから8年目に入った。25年のうちには時間にゆとりもある時もあったけれど、クラスを始めてからは常に忙しい。おかしいな、還暦過ぎたらのんびり過ごすはずだったのに。

昨日テレビで、アフリカの動物たちの惨状を報道していた。雨が降らず、干上がっていて瀕死の動物が沢山いた。それだけでなく密猟も横行し、動物の危機に拍車をかけていた。

人ってなんて業が深いんだろう、とため息が出た。「足る」を知らず、飽くなき欲の追求。動物に対してだけではなく自国以外(正確には自国の自分を応援してくれる人以外)の人に対しては、生活する土地が水浸しになろうが、国が水没しようが、温暖化のせいで他の生き物が絶滅しようが、大型台風が生まれて死者が出ようが無関心。

以前にupした立川の写真。気に入ってます。

でもな、と思う。そういう人間の種としては私も仲間なのである。そういうことに対して徹底抗戦できないなら、地球で起きる色々なことを自分のこととして受け止めなければいけない。一方で気功をしている者として、そして何よりスピリチュアリストとして、「祈り」の大切さや「念力」の力を知っているので、やるべきことは沢山あるだろう、と思う。

来年も毎日、精一杯生きて、人生の大晦日に悔いを残さないように頑張ります、と誓います。

 

 

 

 

温暖化ー臨界点

このブログを書いている時に、丁度テレビで温暖化に関するニュースをしていた。温暖化も臨界点というのがあり、そこを超すと、もう人間が何をしても前には戻らず、グリーンランドの氷は全て溶け、熱帯雨林の木々は次々に枯れていくそうだ。そして、飲める水も食料も足りず。。。ということになる。やっぱり人間のしたことはブーメランのように、人間に返ってくるのだろう。

しかし人はどうして「真実」を見ようとしないのだろう。結局、現状維持が楽だから。これだけ全世界に温暖化の被害が広がっているのだから、「どうしたらいいか。」「何ができるか。」ともっと熱くなって、メディアも真剣に毎日取り上げてほしい。

こういう観点から見ると、不動産処理などどうでもよくなるが、放っておけば生活できなくなるし。。。現世に生きるとはこういうことなのだろう。

花を置くところによって表情が違うのが面白い。

ところで私は何があっても食欲と睡眠欲(?)は落ちない。(だから痩せられない。)でも考えてみたら、食べることと寝ることは、どうもあの世ではできないようで、(亡くなってすぐは目覚めないと言うが)色々考えて不安になって寝れなくなっても、どうせ世の中は変わりはしない。それならば、ぐーぐーと寝ることが現世に生まれてきた醍醐味であり、この世に送り出してくれた方々への感謝の印であろう、と思い私は今日も健やかに眠る(であろう。)

親の有難さ

前回と同じ木。Yの形が面白い。

両親が亡くなってから、不動産の処理に追い掛け回されている。父は余裕があったのか、全ての不動産を放っておいて、そのうちの一つを二人に貸していたので、その賃料で固定資産税や修理費をはらっていた。

突然投げられた私は訳がわからず、ただどんなにぼんやりしていても、放っておいたら固定資産税で家が潰れてしまうということはわかるので、周りの方の意見を聞きながら右往左往している。三人の子供たちの変な争いを招かないようすっきりしておくことと、もし余裕があったら虐待防止の何等かの活動をしたい、とこの年で夢をみている。

日本では不動産を扱う女性はまだ少ないようで、女だからナメヤガッタナ、という思いもしてきた。その度に親、特に父を恨んだ。始めは暇だと私が気がぬけるから、こんなに忙しくしてくれて、と思っていたけれど古家4軒の処理は、とてつもなく大変で、資金も綱渡りしているよう。

ところがある日、早く両親を亡くしたスピリチュアリストのE氏の若い頃のヴィデオを見て、ああ、親というのは社会に対して大きな後ろ盾になっていたんだと気がついた。考えてみれば家の管理の煩わしさも、親が生きている時は全く関係なかった。何も知らされなかったから今の苦労があるが、長い間「知らない幸せ」というのは確かに存在した。

私が嫌でも何でも処理にあたっているのは、こんな思いは子供たちにさせたくない、という気持ちがある。そして、ご先祖や親の応援も時々感じる。私が丁度この「家」の節目の時に生まれてきたと思って頑張るしかない。因果は巡るし。

鍋理論

どう考えても、日本人の不安は大きくなっている。自然、年金、食に職。生活に直接関係するところが危うくなっているような気がする。特に食に関しては「飽食」の時代はとっくに終わり、まともに食事ができない人がいるし、子供でも一日一食の子どももいるようで本当に心が痛む。

では、どうすればいいのか?「鍋理論」と私が名付けたのであるが、これからの世の中はこの「鍋理論」でいくしかないと思う。前にも書いたのだが、皆で材料を一つずつ持ち寄る。少し余裕のある人はお肉とかお魚とかを買ってもっていく。自分のうちで作った野菜でもいい。重ならないように持ち寄り、それを鍋の材料にして、皆で食すことにより栄養的にも偏らない美味しい食事が楽しくできるわけだ。

「世の中に才能が無い人はいない」そうなので、それを自覚して一人一人が皆のために提供していく。大学時代、何浪もして入ってきた人でお勉強は不得意だったかもしれないが、学祭で「物を売る」ことがすごく上手な人がいた。何故かその人が声をかけると吸い付けられて、にこにこしながら商品を買っていく。卒業後、不動産会社に就職したらしいのおうが、さぞ優秀な営業マンになったに違いない。

自然の造形美は素晴らしい!

今、AIが台頭してきたこともあって、人の能力や技術がいらなくなってきているように思われるけれど、AIに感、気転、思いやり、機微はない。人は人によってしか本当のところは癒されないし、成長できないと思う。

金銭的にはかる能力ではなくて、それぞれが自分の中の得意な面を発揮してお互いに助け合うという意識を持てば、つまりそれが「鍋理論」なのだけれど、この生きにくい世も生き抜けるだろう。

私も平均余命まで、後20年ほどなので気功や音楽の技術に磨きをかけ、と鍋に放り込む良い材料としたい。

 

 

台風でわかったこと、三つ

だ~れかさんが、だ~れかさんが、だ~れかさんが、み~つけた♪

今回の台風でわかったことが幾つかある。まず、台風19号。ここ国立市でも、近くの小学校に避難する人があふれる程多く集まったようだ。実際、近くを流れる多摩川が氾濫した。(国立市、府中市に氾濫の被害はなかった)雨、風強く、何年か前の風台風の時のように、朝、外は前の公園の倒れた木や枝、葉で大変なことになっているだろう、と思った。ところが、えっ!というくらい外は何にもない。かえって誰かが掃除をしたように、いつもより綺麗になっている。

どうしてだろう、と考えて多分これだろう、と思ったことは、最近いっきに涼しくなったが、台風がくるほんの一週間くらい前までは暑く、「真夏日」なんていう日もあった。ず~っと暑かった。それで木々がまだ「夏の木」だったのではないだろうか?つまり冬木立になると、幹も枯れてきて弱くなり、葉も落ちやすくなるが、木々は暑かったので冬支度をしてなくて、夏の木の状態だったから枝も葉もしっかり幹についていて、枝もおれることはなかった、のではないだろうか。間違っていたら指摘してください。

後は堤防のこと。何故、コンクリートの堤防があんなに何か所も決壊してしまうのかと不思議に思っていたが、堤防は「金メッキ」ならぬ「コンクリートメッキ」で、盛り土にコンクリートを被せているだけということがわかった。私は中身まで全部、コンクリートだと思っていた。だから水が堤防の中に入ると、土が崩れて弱くなり決壊してしまうのだ。これからは、今までとは違う自然と心して、対策をとらなくてはいけないだろう。

最後に、これは想像しただけで恐く、お気の毒なことだけれど、台風の時に車を使うことは非常に危険である、ということがよくわかった。水圧や電気系統の故障で、ドアが開かないのに、水が車内に入ってくる。かといって、車を使わないで出歩くのも勿論危ない。やはり、台風の時は安全が保障されている所でじっとしているのが一番だ、と肝に命じた。

縮まない試みー気功チャリティーの開催-

秋になって自然災害がひどい。19号の前の大雨で、千葉の農家が壊滅的な被害を受けたことを知って、何かできないかなと思っていた。住む家がj浸水するのも大変だけど、農地をやられると生活の糧がなくなってしまう。何しろお隣の県で私や次男、三男も住んだことがある。個人的に知人にはお見舞いした。

災害が続いたり、年金二千万問題で人は守りに入り、自分のことしか考えられなくなるような気がする。「思考と感情の縮み」が起きる。自分もそうなることを恐れて、そうだ、たまには気功クラスを使ってチャリティーをしようと思いたった。

早速頼んで、10/4日号の国立市報に乗せてもらい、パンフレットも作った。私はクラス代を、クラスに在籍している方は気功を(勿論、責任は私が持ちます)来て頂いた方は、100円から500円程度のご寄付を箱に入れて頂く。それに足して、千葉災害本部に国立JAから送金します。

「日本は昔は四季があったのよ。」という時代にはしたくない。

日にちは11/17(日 )、11/22(金)、12/20(金)の三日間で時間は1~3時まで。できたら予約して頂くと助かりますが、(090-6023–6140か042-576-4723)途中入場、退場可です。

企画した後、台風19号、そしてその後も豪雨が襲い、被害は広がり、心からお見舞いもうしあげます。それ程の金額になるとも思えないので、今回は千葉に限定させていただきます。ご都合よろしければ是非、いらして下さい。

皆様の温かいお気持ちをお待ちしています。

受けてしまったストレスを取る

前回でストレスの軽減方法について書いたが、まだ幾つか方法がある。ここで声を大にして言いたいことは(言っても聞こえないけれど)まさに気功がその効果がとてもあるということだ。

クラスの目標として「セルフ・ヒーリング」を設定しているが、肉体だけではなく精神も入っている。まず、気を出した手で頭のどこら辺が特に邪気が出ているか感じて(長年来ている方は感じることができる)そこを中心にご気棒でヒーリングして、後は手で祓う。これと同じことをこめかみと胸にする。これで随分、ストレスが軽減される。私は忙し過ぎたせいか、長年気功をしているせいか、そもそもあまりストレスを感じない体になった。ただ感性が鈍いだけかもしれないけれど。。。

増水した多摩川と土手のすすき。真夏日から一転晩秋の気配。

もう一つは、「類魂の法則」の考え方。平たく言うと「あなたは私で、私はあなた」。皆同じようなところがあり、自分の一部が写し出されているだけなので、腹が立つことがあっても自らを高めるチャンスにしよう、と前向きにとらえる考え方。そうすると、大体のことはそんなに腹のたつことにはならない。

今回の台風の様に、自然からもたらされるストレスもあるが、大体のストレスは人間関係からくる。人間関係の良しあしが人の幸福度を決めている、といっても過言ではない。人が欲しがる権力も金力も、もし孤島で一人暮らしているなら、何ら関係が無い訳だから。ただ、孤独というのも「孤独という人間関係」らしい。

ストレスをあまり受けない方法

はっきり言ってめちゃくちゃ忙しい。何となく還暦過ぎたら、縁側で(うちにはないが)猫とひなたぼっこしているイメージをもっていた。それが母が倒れ、残された90を過ぎた父も一緒に介護することになった。約六年。
去年母が亡くなり、その前後で母関係の親戚が怒涛のように亡くなり、(涙の乾く暇もなく、というのはこのことだ。)お通夜、お葬式、四十九日の法要を繰り返した。三か月の間で両親が亡くなったので、その後、山の様な書類に奮闘した。

私が倒れるか寝込む、と思った親戚もいたようだ。ところが、20人も相続人がいる古い建物とか、築70年以上経った建物が愛知県にあることがわかり(父の亡くなる一年前に知った)そこにはお店が入っていたので、調べてみると保険に入ってない。損害保険と生命保険の仕事をしていたので、無保険の恐さは身に染みて知っている。もし地震で倒壊して店にいた方に死者が出たら、賠償金を支払う義務がある。しかも場所は愛知県である。下手したら、三代先まで迷惑がかかる。ひぇ~、と思い対処するのに、寝込む暇も倒れる暇もなく今日まできた。

そんなこんなで、気功の仕事以外に関わる方がいっぺんに増え、裁判に関わることもあったので、本来は内向的な性格だし(???)ストレスがたまりまくるはずだった。でもあまりに他のことでも忙しすぎたためか、ひどく落ち込むこともなかった。(たまには落ち込みました)

何を撮りたかったのか良くわからない写真。緑と木を楽しんでください。

人は内側から霊体(魂の部分)幽体(感情)肉体と三部構成らしいが、無意識的に外から受ける刺激に対する反応を霊体の部分では受け止めないで、幽体でとどめていたような気がする。怒ったり、喜んだり、悲しんだり、嘆いたり、ほっとしたり時には憎んだり、感謝したりと感情的に本当に忙しい二年間だったけれど、魂の部分はスピリチュアリズムでコーティングして、負の感情は、はね返していたように思う。

スピリチュアリズムで、向こうには財産、権力、地位は持っていけませんよ。持っていけるのは、経験と感動だけです、と習った。プラスの感情、特に感謝の気持ちは魂にしっかり刻んで、後は魂の肥やしにするくらいの気持ちで、これからも樹木希林さんが言う「平気で楽しんで生きよう」と思う。

今の思い

前回のブログで、何もできない弱い立場と書いたけれど、もし何かできる立場であれば、正直物凄くしんどいと思う。それだけ責任が重くなるから。という感性が正常だと思うのだけれど、どうも実際に世を動かせる立場にある人たちは、そういう風には思わないらしい。

私には、火の手が周りから迫っているのに何も気が付かないで、自分たちだけの世界にとらわれている人達のように見える。もしかしたら日本人全体が、私も含めて、そんな状態かもしれない。テレビは深刻な問題は避けているようにみえる。辛くても、まず現実を直視しなければ。

愛の反対は無関心というけれど、明らかに大変な世になってきているのに、何かあっても「なかった」ことにしたり、苦しんでいる人のことを見ないことが、若い人の自殺の上昇につながっているのではないのか?

ニュースの中でも虐待死は、胃が痛くなるほど聞きたくないニュースだ。ある程度の年齢になれば対抗できるけれど、そしてあの女の子は健気に闘ったけれど、結局親に殺されてしまった。私は全く福祉に関しては素人なので、何かできるとは思わないけれど、虐待防止の種くらいはまきたい。

これは可愛いですが、ハロウィンはケルト人の悪魔崇拝のための生贄の儀式だそうです。怖いです。

(自分で言うと自慢に聞こえるかもしれないが)アメリカに行った時、「日本人らしからぬ大胆さ」を次男から褒められ(?)実行力は昔から折り紙つき、後、自分の損得を考えないで良く「割を食う」ことがある一種の頭の悪さ、これらが資質として備わっているようなので、これらを武器(?)に気功も手放さず、社会貢献していこうと思う。

スピリチュアリズムを勉強して、「天は見てござる」と本当に思えるようになった。ご先祖様、守護霊を通してつながってくださることがある高級霊の方々、こうご期待!