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これから。。。

これからの世界はどうなってしまうのだろう?緊急に何とかしなければいけないのは、福島原発の汚染水。それを海に垂れ流したら、もう魚、貝は食べられなくなってしまう。しかし、もう既に汚染水を流している国もあるようで、奇形の魚も見つかっているという。なぜニュースにならないのか不思議である。

科学の力、AIも駆使して汚染水の無毒化とかできないのかしら。どうにも理解できないのは、この地震の国に原発が動いていることだ。原発が全て停まっても電気は困らなかった。日本の将来がかかっている時に、地元の利権もアメリカのご意向もない、と思うのだけれど。

もうすぐ秋の景色になる(はず)小径

そして気候温暖化。少女に「許さない。」と言われて大人はどうするべきだろうか?もっと温暖化の原因究明のため、時間を使いお金をかけなければいけないのではないか。アマゾンに60人の村民が放火したニュースを聞いた時は、地球も終わったな、と思った。

日本のマスコミは、もっと深刻な世界の状況も語るべきだと思う。マレーシアは森林火災の影響で、(ボルネオか?)現在、昔の北京の様に大気汚染が深刻だという。森林の喪失と温暖化の相関関係はどうなっているのだろう。私も嘆いてばかりいないで勉強しなければと思う。頭のいい、科学者さん達、この二つの緊急問題に一人でも多く、取り組んでください。

身内の関係で東大に何度か寄付しているが(少額です)、今回はこのお願いを一応書いておきます。(一人の思いのなんと弱くて小さいことか、ため息!)

祖母の思い出

私の父方の祖母は豊橋で、一昔前なら、みんな知っている運道具店を経営していた。往時50人くらいの人を雇っていた、というからかなりのやり手だったようだ。私が知っている頃は5,6人だった。なんでも店員さんの中で、独立したい人をどんどん独立させたようだった。いつもお店のことで忙しそうで、最後まで店主として頑張っていた。

はっきり言って、医者の娘である母とはあまり反りが合わなかったようで、「あの人(母のこと)と話すと疲れる。」と言っていたようだ。ところが母の母とは同じ豊橋のせいか仲がよく、一緒に京都旅行などに行っていた。でもせいぜい二泊三日、常にお店のことが気になっていた。

海の不思議。今日は久しぶりに暑かった。

その祖母が私に「私の若い頃の夢は和裁の先生。家から先生のところまで片道、一時間以上もあってね、それでも山道を、思い荷物抱えて一生懸命通ったのに、私は何の因果で、こんな商売やっているんだろうね。」と答えが出ない問いをよくしていた。おばあちゃま、人生なんてみんな、そんなもんだよ、でも成功しただけ良かったじゃない。いまだに豊橋の私世代やそれ以上の方は覚えていて、なつかしそうに〇〇〇でグローブ買ってもらったよ、嬉しかったな~、なんて言って下さる。お店を開こうと思った時、地域に必要なもの、足りないものを選んだその眼力、洞察力は素晴らしい。

祖母の亡き後、叔母が継いだが、時代の趨勢に勝てず閉じて貸し店舗にした。現在私の管理となったが、70年近くたった木造の建物は「東海大地震」が言われている今危なく、もし何かあれば保険もかけていないその建物に対して、何も責任が負えない。中でだれか亡くなれば、それも全部こちらの責任になる。それを知った時、ぞっとした。

だから、取り壊しを決定した。後、20年若ければそこで何かできたかもしれないが、もはやそんな余裕も気力もない。豊橋には私自身住んだこともないので、余計難しい。息子達も自分の道を歩み始めて忙しい。

お墓参りして、そのことを報告し、事後処理をきちんとすること、資産を社会のために使うことを誓った。最後まで律儀に働き者だったおばあちゃま、思い出の建物はおばあちゃまが可愛がった近所の男の子(今は勿論大人)に壊してもらいます。許してね。

料理愛

週末、スーパーで活きのいい鯵を見つけた。店の奥で調理している魚屋さんが入っていて、はらわたとゼイゴは取ってもらえるので、調理が簡単になる。宅配でとっている野菜にレシピが入っていて、きゅうりと海老の炒め物がおいしそうだったので、あまっているきゅうりを消化しようと海老もゲット。レシピはつゆの素で味をつけるようになっていたが茄子としいたけの煮物をしよと思っていたので、塩、コショウ味にする。

鯵は塩をふって、(塩は内臓を取った後の所にも塗っておくとよく味がしみる)少し出てきた水分をキッチン・ペーパーでふき取り、焼く。海老ときゅうりの炒めものは、きゅうりは斜め薄切り、海老の背わたをとり共に炒める。単純な塩コショウ味だが、油に少し工夫する。サラダ油では「こく」がたりないので、ごま油とここなつ油を使用。少しエスニック風になる。煮物は茄子に格子に包丁を入れて、しいたけと和風に煮込む。しいたけを入れる時も私は、必ず出汁でまず煮込む。

サラダも作った。定番のレタス、ブロッコリー、ミニトマト、グラッセした人参。ドレッシングはごま風味。それに冷凍庫で眠っていたアサリを取り出し、刻んだネギをたっぷり入れたお味噌汁も。

今日も暑かったので、海と島の写真です。

何故かスイッチが入ると、料理の手が止まらなくなり、次から次へと作ってしまう。息子三人がいた時も「多すぎる。」とよく文句を言われた。遊びに来た姑が「煮物は上手。」と誉めてくれたのは嬉しかった。

母がお料理大好きで、台所に立つと生き生きとした。人に食べさせるのも好きで、皆が喜んで食べるのを見るのがとても好きだった。少し遺伝したかな。母よりは手抜き料理の方が得意で、母にもう少し料理を教わっておけばよかった、とそれが残念だ。牛肉が入ったホワイトシチューのコロッケは祖母由来だそうだが、絶品だった。なつかしい。

ところで、いつもお料理の写真を撮って載せればよかったと後で思うのだが、さっさと食べてしまってから、しまったと後悔する。アメリカから甥が嫁のアメリカ人を連れて来た時、帰る朝、色々出した食事を写真でとって本の中に入れて送ってくれた。それならあります。

アメリカで感じたこと

アメリカでは油断なく歩いていたので、写真はなし。仙台駅で。

アメリカにはただ一人の姉妹である姉が、グリーンカードを取って、つまりアメリカ人として、もう日本にいる時より長く住んでいるため何度かいく機会があった。

一番始めはもう30年ほど前だが、まだ人種差別が強く、トイレもカラードとホワイトと分けられて、バスも別々、レストラン、カジノも担当は日本人には黒人がついた。うわーっ、まだこんな世界なんだ、と思った。

次に行った時は、アメリカ人が人に肌がふれあうことに、日本人より神経質だということがわかった。少し触れ合っただけでも、びっくりしたように「Excuse me!」と言う。触りそうになっただけでも、大げさに避ける。思うに広い国だから、個人個人のmy space が広いのだろう。狭い日本、そんな感覚はない。でなければラッシュ・アワーの電車にはのれない。日本に遊びに来た甥のwifeであるアメリカ人が、満員電車で笑い転げている訳がわかった。

さて、今回、今までは気がつかなかったが、レストランで待ち時間がとても長い、ということ。普通のレストランだったが、注文してからなかなか料理が出てこない。30分以上、何回も待たされた。息子が「日本とは違うよ、待つよ。」と言ったけれど本当に長く待った。勿論一流と言われているレストランは違うのだろうけれど、今回は、というか今回も行かなかったし。うっかり追加注文しようものなら、またそこから待つ。「お客様は神様、ではアメリカではないから。」と息子も言っていた。

でもそこで、気がついた。アメリカ人のお客さんは、グループで来ている人が多く、とにかく良くしゃべる。食事にはあまり関心がないのかなと思うくらい、食事そっちのけで沢山しゃべり、よく笑う。日本のようにカップルや家族で来ても、スマホに夫々夢中、なんて人はみかけなかった。思うにもうスマホは生活に溶け込んで、夢中になる対象ではないのかもしれない。

二分でお米が炊けるジャー、とか所謂日本でいう柔軟剤はもうアメリカでは薄いシートになっていて、洗濯機から乾燥機に洗濯物を移す時に一枚入れれば事足りたりする。ある時から何故、アメリカから来た柔軟剤が急に増えたのか、と不思議に思っていたのだが、このせいではないだろうか?

でも、もしアメリカの後を日本が追いかけているとすれば、スマホもすっかり生活に溶け込み、スマホに振り回されることなくスマホを使いこなす、という日が来るかもしれない。今回はそういうところで、光を見た気がした。

 

 

 

アメリカで作った料理

アメリカに豊富にあるのは、トマト、ジャガイモ、玉ねぎで息子の冷蔵庫にはバターとコンソメスープがあった。コンソメスープは味が薄くて使いやすい。これはニース風野菜煮込みしかない、と思い、それを朝食のため夜作っておいた。今回、アメリカに行った最後の朝食のために。

トマトは日本では大きいのを使うのだが、アメリカではミニトマトしか見当たらず面倒なこと、この上なかったが、とにかく作った。作り方はとても簡単で、トマト、ジャガイモは薄く輪切りにし、玉ねぎも半分に切ってから端から3ミリ位の薄切りにしておく。鍋に始めにバターを所々において、薄切りにした野菜をジャガイモ、玉ねぎ、トマトのじゅんに重ねて、そこにお塩をぱらぱらとふる。またバターを所々置いて、野菜を重ねていくということを3回程繰り返す。薄切りと書いたが、少しくらい厚くても味に変わりはない。最後に水か塩味の薄いコンソメスープを底から1,2cm入れてから火にかける。必ず落とし蓋かクッキングシートをかぶせる。

自然に野菜からも水分が出て、ことこと煮た感じになる。あまり強火にしたり、長く煮すぎると、一番底のジャガイモが焦げてしまうので、要注意。でも近くにいると、すぐ匂うので、普通は気がつくのでそんなに神経質になる必要もない。

塩味が強すぎると、手直しが大変なので、ぱらぱらと振る程度にする。何度か作ると加減がわかってくる。ベーコンとかソーセージを入れなくてもこくのあるいい味に仕上がる。その時はバターは有塩をつかったので、お塩は大分控えた。私は野菜の割合を決めてないので、トマトが多いと、少し酸っぱめ、玉ねぎが多いと甘めになり、何回作っても違う味になり、あきない。

お姉ちゃんが船内で撮った弟。師のパクリでもある。

塩味があまりに薄い時は、好みでソースをかけてもおいしく食べられる。この料理はトマトが熟し過ぎていてもできるので、野菜を消化したい時も重宝する。試してください。

 

アメリカにいました(3)

アメリカに行ったのは、次男に関しては、様子を見にいったのと食事を作ろうと思ったということは前に書いた。アメリカの外食は高い。よくあるレストランのパターンが、ハンバーガー、(中身は少しずつ違う)飲み物(ソフトドリンクはお代わり自由のところもある)フライドポテトかオニオンリングで日本円にして2000円、これにサービス料、tax(税金)、チップを入れて2800円くらいになる!水はただで持ってきてくれる。

食材を探しに、一度、アジアンフードの店に行ったけれど、基本的に置いてあるのは中国の食材だった。すごく魚臭くあまり長くいられなかった。そこで茄子を購入し、食材は何でもあると思ったのは大間違いだった。直ぐ近くのスーパーに買出しにいったけれど、お肉は牛肉を中心に種類は豊富でも魚はない。野菜もこの季節に、茄子、キャべツはない。勿論、白菜、小松菜、ほうれん草ない。あるのはトマト、人参(親指ほどの、皮をむいた小さな人参で基本的にdip用(ドレッシングにちょっとつけて食べる)、じゃがいも、玉ねぎ、ピーマン、レタス終わり。葉物類は葉っぱだけ切られて種類はあるが、パックに入って売られている、生サラダ用。

日本では今の季節でも大根、様々な葉物類、ネギ類も子ネギ、アサツキ、太いネギと種類が豊富、根菜類もいつでも料理できる。野菜の種類がないのは、アメリカはスープはあるけれど、野菜を煮込むことはあまりないせいかな。食材も一人分を買うのは困難で、人参など、ニドルで3,40こ入っているので、いくら一つ一つが小さくても買うのは勇気がいる。あっ、ブロッコリーは売られていた。

暑いので、とにかく涼しい写真を。孫と水族館で。

姉が日本に来た時、「何が食べたい?」と聞いたら「毎日干物が食べたい。」と言ったので、少しびっくりしたが、成程、魚は皆無。日本食ブームのせいか、怪しい寿司はいい値段で売られているけれど、普通に料理できる魚はない。次男に「送った缶詰の中で何が一番おいしかった?」と聞いたら「鯖の味噌煮」と言ったのでへぇ~っ、と思ったけれど、それが良くわかった。お味噌と豆腐は売られていて、ある程度日本食の浸透を感じた。あくまで、私が行った二軒の(大きかったが)スーパーの話です。

結論、やはり日本に生まれてきて、よかった。死ぬ時、自分の人生に満足できるよう、これから努力しなければいけないが、食だけは大満足して向こうにいける確信をもった。

アメリカにいました(2)

次男がいるピッツバーグは思った以上に美しく、二つの河が合流するので、橋が世界で最も多く(100以上と聞いたけれど、ネットでは400以上と書いてあった。ベネチアの次に多いらしい)景観も素晴らしい街だ。雰囲気もアメリカというよりも、ヨーロッパ的で、街中に古めかしい石造りの立派な教会が建っていたりする。(息子曰く、せいぜい100年くらいだよ、ということだけれど)

丘の上、といっても広大な敷地にカーネギー・メロン大学、ピッツバーグ大学(世界で始めて心臓移植した医学部が有名)他もう一つあり、姉のいるバッファローと違い、普通に街を人が歩いている。アメリカでは滅多に見なかった(多分私が知らないだけだと思うが)こじゃれた商店街、美しい住宅街もあり、雰囲気は明るくいい感じだ。アメリカ人が住みたい街ベスト10の上位にいつもはいっているらしい。

ごめんなさい。松島の海です。涼しげだからのせます。

しかし、やはりここはアメリカだ。去年10月、シナゴーグ(ユダヤ人協会)で白人男性が乱射し11人が死亡した事件の協会がピッツバーグのダウンタウンの角にあり、そこは四回も通ることになった。次男がいるところから、車で10分ほど。黄色いテープが張られ、教会としては機能していなかった。「どうするの?」と聞いたら「たいてい、そういう現場は更地にした後、公園にして墓碑が立つ。」と言っていた。そういえば、9.11の現場も墓碑のプレートが並ぶ、噴水のある公園になった。

ダウンタウンで食事の後帰ってテレビをつけたら、喧嘩して銃を使い殺人事件になってしまったニュースをしていて、見たら「えっ、ここ、さっき通ってきたところじゃない!」と驚いても「そうだね。さっきも何かパトカーが来てたよ。」と落ち着いたもので、彼はたくましくなったのか、もうアメリカ人になってしまったのか、それとも鈍感になったのかと色々思うことがあった。まあ、日本でも銃が包丁や傘になっただけだと思うと、そう変わりはないのかもしれない。

 

アメリカにいました。(1)

7月4日に成田に前泊して、5日から18日まで三男とアメリカに行ってました。と言うと、そんなに長く!、どんだけお金かかった、と思われるでしょうけれど、航空運賃は意外とかからない。エコノミーでワシントン経由、ピッツバーグでANA往復15万、三男はアメリカンで10万と言っていた。

次男が今、会社からピッツバーグにある、カーネギー・メロン大学、大学院修士に去年の夏から留学しているので、そろそろ日本食が恋しかろうとトランクに惣菜・魚の缶詰、ごはんパックを詰めて持って行った。重い!!一緒に行くはずだった三男が裏切って半日ずらしたので、(仕事の関係だ、と言っていたけれど怪しい。)一人で運んだ。自分の体力に感謝した。

姉がピッバーグから車で三時間半のバッファローにいるので(アメリカではこれを近い、という)姉の所にいき、ワシントンで観光してまたピッバーグに戻り、またワシントン経由で帰ってきた。基本的に息子と姉の所に泊まったので、ホテル代はワシントンのみ必要だった。よく計画すれば三度もワシントンを通ることもなかったかもしれない。

久しぶりに思ったようにとれた花の写真。夏らしくていい。

話は行くときに戻るが、成田空港は現在オリンピックに向けて改装中で、かってがいつもと違い出国ロビーも閑散としていて、心細くなった私は思わず、「ここ(出国手続きの窓口)を抜けたら、アメリカに行けますか?」とばかな質問をスタッフのおじさんにして、「大丈夫、ここを通ればアメリカに行けますよ。」と大笑いされた。ここから早くも珍道中が始まった。

サーフィン処世術

最近、気持ちの持ち方で、これはいいな、と思うことを考えた。名づけて「サーフィン処世術」。どういうものかというと、海で常に来る大きな波や小さな波を人生を歩んでいく上での試練、困難、または人からの働きかけ、と考える。

ここが大事なポイントなのだけれど、自分の軸をきちんと持つ。今までの人生経験からきたものが土台となるが、頑固であってはいけないし、常に修正していく必要はあるけれどこれが、自分の軸という意識できるものを持っておく。

そうすると、大小の波を転覆することなく、ダメージを受けることなく乗り越えられる。例えば、人から理不尽な扱いを受けたり、不幸と思えることがあったとする。ともすると恨みつらみ、憎しみになり、ひどいと自分の運命さえ呪うことになる。

でもこれは、大きな波だ、乗り越えてしまおう、と思えれば、自分をゆがめることなく進んでいける。その人になおかつ、慈愛の眼差しを向けたり、禍を転じて福となすことだって可能になる。自分の軸は変わらないのだから。

今日の内容は硬いので、少し夏らしい画像を。気にいってるお皿です。

とは言うものの、これはほとんどイエスの境地で、私達凡人にはとても難しいかもしれない。でも、このサーフィンをイメージしただけで、何か余分に悩むことがずっと少なくなった。私はずっとスピリチュアリズムの勉強をしているが、乗っているボードはこのスピリチュアリズムだと思っている。その上に自分の軸をどう作っていくか、これからの人生の課題であり、楽しみでもある。

 

何かおかしい、空き家対策

両親の残した古屋付きの土地で、四苦八苦している。不動産のことは、よくわからないけれど、素人の私でも「おかしいな」と思うことがある。例えば、空き家を減らす、という目標がありながら空き家を壊して更地にすると、固定資産税が3倍にも上がってしまう。

一方、亡くなった親が住んでいた家を3年以内に売れば、3000万もの税控除を受けられる一方(他にも色々条件があるが)、住んでなくて所有していた家であれば、亡くなって5年以内に売却すれば、2割~3割の税金を持っていかれる。これは、住んでいなかった空き家を5年以上持っていなさい、ということと同じだ。うちの場合、名義がまだ祖父のままの店舗がこれにあたる。

また、税金もおかしい、と感じる。相続税を家に対して沢山払い、売却した時にまた5年以内であるから、と普通の何倍もとるのは、「税の二重取り」にならないのか?それをある方に言ったら「以前、それは問題になって、一時売却の時の増税はなくなったんだけど国庫が苦しいから、と、また復活してしまって。」とおっしゃっていた。どうしてだろう?その一時なくなった時に、売り抜けた政治家や「有力者」はいなかったのか、と「忖度の時代」に疑ってしまう。

毎年同じ時期に花をつけるということも、良く考えたらすごいことだと思う。

相続であわよくば余裕ができたら、社会貢献したいと思っていたのだが、親戚によると、壊す方が、家を建てるよりお金がかかるよ、ということで、実際取り壊さなければいけない建物がよっつもあり、なんとかうちが破産しないように、と心配している。

これからは全て子孫のことまで考えて、行動しなければいけない時代になった。両親は戦争は経験したけれど、その後は好き放題できた、いい時代に生きた人達だと思う。