月別アーカイブ: 2021年11月

三男の、はなし

私は息子が三人いて各々が個性豊かで、本当に人生を楽しませて(?)もらった。可愛くて素直で、いわゆるいい子と思っていた三男は長ずるに連れて変身し、今ではほとんど理解不能な未知数の多い大人、おじさんになった。

父が亡くなる前に父からということで、お金を振り込んだら、アメリカまでの予定を南アメリカまで足を延ばし、奥地まで行った。その後も少額だが振り込んだお金は、私からのお金は貯めてはいけないと思っているのか、全て海外旅行や投資に消えていった。母が亡くなる前に母からと思って振り込んだお金は一度取り損なった自動車の免許をとるため、富士山の合宿講習に使った。母のお葬式の日に「講習中で今帰ったら、全て取り消しになりお金も返金してくれない。」というので、私自身も母に謝りながら、皆さんには海外にいて来れないということにした。(遠くから弔問に来て下さった方、ごめんなさい。)

大人になっても白い花のような純粋で無垢な心は持ち続けたいです。

もう随分昔になるが、この三男は、東京理科大学の大学院で統計の勉強をしていた。先生は統計学のかなりの権威な先生で、ついていくのが大変だったのか自分で別に立川にある、知る人ぞ知る、統計学研究所というよう所でも勉強をしていた。そこで、名古屋大学の先生と知り合い、大学院博士課程は名古屋大学の医学部(医学統計の方)を受けちゃんと合格した。ところが名古屋大学の先生の指導の下で修士論文を書いたのがいけなかった。理科大でついていた教授の逆鱗に触れ、何と卒業三か月前に修士論文、不合格を出された。これで、名古屋大学の博士課程は合格したにもかかわらず道が閉ざされた。選択は二つに一つ、先生に謝ってもう一年、先生の指導の下、新たに論文を書くか、退学するか。本人に聞くと、「もう先生にはついていけない。」ということだった。

結構ぐずぐずしていたので、お尻を叩いて退学届けを出させ、既に就活の時期は過ぎていたので就職浪人になった。でも、何がいいかわからない。もう一年立川で勉強して実力をつけた。AIの知識も身につけた。それを武器に次年度就職し、それからはオファーもあり大きな企業を渡り歩いている。実際業績も出しているようで、社長賞も時々頂いている。この子はどうなるんだろう、と悶々とした一年がなつかしい。

今日書きたいのは、ここからで、先日三男に会った時、東大生にもAIを教えていると言うので、「よく頑張って、ここまで来たね。」と言ったら「うん。理科大の教授が知ったら、今の僕を誉めてくれるかな。」と答えた。私は、当時はコミュニケーション不足でこうなった、あなたが悪い、と本人に言ったものの、進路を閉ざされて教授を恨むだろうな、と思っていた。だからこの言葉はすごく嬉しかった。ああ、昔の素直で純粋な三男は残っていると、とても安心した。という親バカな話です。お付き合い、有難うございました。

祭りについて

結婚してから50代で京都造形芸術大学に社会人入学して多くのことを学び、また芸術の面白さに目覚めた。芸術学をとったので、色々な分野を勉強することになり、日本の文化を考えることになった。その中で「日本の祭り」について課題が出た。「祭り」の意義について考察しなさい、というものだった。

はっきり言ってよくわからなかった。まだスピリチュアリズムの勉強もしていなかったし、でも神様を讃える行事には間違いない、とぼんやり思った。でも、と再び考えた。神を讃えるのにあんなに大騒ぎする必要があるのかしら、やはり娯楽の要素が強いな、それとも権力者が不満を溜めた民衆エネルギーの発散装置か、と考えがまとまらず結局、祭りとは、人間のあるがままの姿の表現で昔からあった原始的なもの、という自分でも良くわからないことを書いたが、評価はAを頂いた。(少し自慢)

外国風の景色ですが、日本です。しかも近所。

もう10年ほど昔の話だけれど、どこか消化しきれないで引っ掛かっていたのだろう。今、コロナ禍の時代でしかも頼りになる人の訃報が多く、また知り合いで病気になる方も結構いる。人が集うことが難しくなったこの時代に、ふと祭りのことを思った。祭りとは、やはり生命の火花の表現で今、こうして仲間と神を寿ぐことができる幸せ、ひょっとしたらあらゆる意味で奇跡的なこの時間、を強く印象に残す装置ではないか、と。そういう意味では、不明のまま書いた提出課題もそう的外れではなかった、と今更ながら胸をなでおろすのであった。

子供達のこと

私は三人の息子がいるが、小さい時よく「どの子が一番合うか、もしくは可愛いか」という奇妙な質問(と私には思えた)をされた。子供は皆そうだと思うのだけれど、十人十色で個性が際立つ。というのもまだ、社会規範、とか同調圧力、忖度など知らないわけで、暫くはどの子も個性そのままに生きていくことが許される。三人の子供達のどの子が、と聞かれてもピアノと本と山、の中でどれが一番好きか、と聞かれているくらいの違和感があった。

『あなたも気功師』の本の中で「次男が一番わかりやすくて合う」という様なことを書いてある、いいの?と言われた。本当に申し訳ないのだけれど、全く覚えてない。多分長男と三男にむかっ腹のたつことがあったのだろう。長男を一番愛している。次男は一番愛しい。三男は一番可愛い。ただしこれは今の心境で、時間が経つと「一番」以下の感情が入れ替わるかもしれないが他の言葉に変わることはない。そう、私はピアノも本も山も大好きで、人生にかけがえのないものと思っているように。

何の実だろう。果物のおいしい季節です。

それぞれ独立したけれど、まだまだ心配なことは尽きない。両親やご先祖の位牌にむかって、色々思っていた時に、大変なことに気が付いた。私は子供達が独立するまで、いつも同じことを長い期間お祈りしていた。「どうか、子供達が社会に貢献できる大人になりますように」と。それを今日突然思い出した。子供の独立と両親の介護が重なって、いつの間にか忘れていた。恩知らず、その上どんどん他のことも言ってきて、という声が聞こえてきそうだ。あ~あ、恥ずかしい。叶えてもらったのに、お礼も言わんと。自分でもあきれる。今日改めてお願いした。「私も含めて縁ある者が霊的に成長できますように」と。これも自分の志次第でしょ、という声が聞こえてきそうだけれど、少しはスピリチュアリストらしいかしら。

日本で小麦は育たないのか

政治家の麻生氏が「温暖化で北海道の米がうまくなるのではないか。」とおっしゃった。では新潟の米がまずくなってもいいのか、とツッコミをいれたくなる。最近この年になってどうも小麦粉アレルギーがでてきた。焼きそばを食べると必ず少しして、くしゃみがでてくる。私には小麦粉プラス油がいけないのかもしれない。パンもお店によってはアレルギー反応がでる。おうどんは同じメーカーでも製品によってアレルギー反応がでたり出なかったりするのでやっかいだ。

日本はほとんど、小麦粉は輸入だ。昔とこれだけ気候が変わった訳だから、日本で小麦粉を作り出

菊の季節になりました。

すということも、ひょっとして可能になるかな。はるか昔、岡山にいた頃「麦ふみ」をした。確か霜が降りる頃だったと思う。ということは小麦は寒冷地に合うのだろうか。だとしたら、世界は温暖化だから、やはり日本では無理なのか。でも、標高の高いところでは、気候は涼しいはずなので、望みがないわけでもない。しかしアレルギーの原因が例えばパンを作る時の添加物や、運ばれてくる時の薬剤かもしれなくて、小麦粉自信は白かもしれないと、とりとめなく考えてしまう。

もう一つの解決策は、小麦粉の代わりに米粉を使うことだ。今お米は、余り気味と聞く。これ以上、日本の自給率を減らしたくない。米粉でできたパンを食べたことがあるが、とてもおいしく、またアレルギーもでなかった。輸入のものは、価格変動があり、今回小麦粉製品はどれも高くなると言われている。日本でできるものの中で、工夫して今あるものに置き換えていければ、将来とても困ることにはならないのではないか、と思うのだが。これからは日本という国を本当の意味で守っていかなくてはいけない、と感じる。